宗務所の門 |
神明神社から二筋南、その名も仏光寺通に面した寺院が佛光寺である。市内中心部にある寺院では比較的大きく、大師堂は相当の規模を誇る。
だが、堂宇の規模もさることながら、その歴史を遡ると、教団としての勢力規模を見逃す事はできない。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞は専修念仏への迫害により、越後国に配流される。
その後、赦免された親鸞は京都に帰り、山科に草庵を造営し、順徳天皇より「興隆正法」の勅願を賜り、「興隆正法寺」と名づけた。これが佛光寺の前身で、親鸞はこの寺を弟子の真仏にまかせ、その後、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされる。
時を経て、真宗教団の中興の祖とされる、第7世了源により、教化活動の拠点を山科から今比叡汁谷に移した。 |
佛光寺北側 佛光寺派寺院 大行寺「長谷山北ノ院」 |
玄関門
|
御影堂門 |
御影堂門
|
大師堂 |
宗務所
|
大師堂 親鸞聖人坐像他を安置 |
本堂 阿弥陀堂 本尊阿弥陀仏を安置
|
|
東山に移ってからは、後醍醐天皇から寺号を賜り、益々隆盛となるが、次第に延暦寺の弾圧が強まり、応仁の乱を境に寺勢は次第に衰え、代わって本願寺が台頭することとなる。以後、豊臣秀吉の懇請により、寺基を現在地に移し、現在に至っている。
京都では長い歴史の中で、神社も含め、度重なる兵火や火災などで亡失の危機を迎えているが、その度に民衆により再興されている。こうした伝統の積み重ねの上で今の京都がある。
筆者思うに、おそらく今世ほど平和で、世界に開かれた時代は、かつて無かったのではないか・・と。先人の培ってきた労苦の上で享受するこの平和を、今後もずっと守り続けていきたいものだ。 |
阿弥陀堂門(本堂門) |
鐘楼 |
休所 |
D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学 |
|
古きを大切にするのも大事だが、境内には休所の他、カフェや横文字のショップも設置されている。ショップは京都造形芸術大学とのコラボによるものらしい。
こうした柔軟さもこれからはもっと必要になってくるのかもしれない。
► 次の目的地 → 日吉神社
続けてご覧になる方は下記か上を選択して下さい。
トリップ
19 2016/1/4 ルート履歴 ► 京都・四条通方面 |
▼
四条通・錦小路通 京都市下京区・中京区
▼
火除天満宮 京都市下京区寺町四条下ル貞安前之町613
▼
京都大神宮 京都市下京区新開町397
▼
神明神社 京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町
▼
佛光寺 京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397
▼
日吉神社 京都市下京区室町通仏光寺下ル山王町534
▼
繁昌の宮 京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町308
▼
菅大臣神社 京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町187
▼
大原神社 京都市下京区綾小路通室町西入る善長寺町135
▼
京都神田明神 京都市下京区新釜座町722
▼
火尊天満宮 京都市下京区風早町559-1
▼
天道神社 京都市下京区仏光寺通猪熊西入西田町615
▼
元祇園梛神社 京都市中京区壬生梛ノ宮町17
▼
壬生寺 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
▼
武信稲荷神社 京都市中京区今新在家西町38
▼
中山神社 京都市中京区岩上通六角下ル岩上町748
▼
越後神社 京都市中京区醒ヶ井通六角通上ル
▼
大神宮 京都市下京区間之町通松原上る稲荷町
▼
錦天満宮 京都市中京区新京極通四条上ル中之町537 |
|
カフェがあります |
|