高辻側(南側)鳥居 |
繁昌の宮から西隣の菅大臣町に移動する。菅大臣神社の参道まですぐである。
町名が記すように元々は菅原道真公の邸宅跡と云われる。
平安時代には南北の町にまたがり、北部は「紅梅殿」、南部には「菅家廊下」と呼ばれていた学問所があったとされる。また、菅原道真生誕の地とも伝えられている。
菅原道真公の没後、社殿が造営されたが、その後の兵火により焼失。その後再建され、南北に社殿が分かれる事になる。
現在は北側に北菅大臣社があり、鳥居の扁額に「紅梅殿」と記されている。南側のご本殿は下鴨神社の旧社殿を譲り受けたもので、幣殿はその後の造営による。
参道は南北と西にあり西が正面参道となる。 |
高辻通に面した南側参道 |
南側参道 参道は他に西(正面)と北がある |
参道内にある地蔵 卍がたくさんある |
境内前の鳥居 |
正面鳥居 |
ご由緒 |
幣殿 |
飛梅伝説
藤原時平との政争に敗れた菅原道真公が、太宰府に左遷の折、屋敷内の庭木のうち日頃から愛でていた梅、桜、松の木、それぞれとの別れを惜しんだ。旅立つ際に梅の木について詠んだのが下記の歌である。
東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
道真を慕う庭木のうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知り、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまう。
そして梅と松は、道真の後を追いたいと、慕う気持ちを抑えきれず、とうとう空を飛んだ。しかし、松は途中で力尽きて、摂津国に降り立ち、この地に根を下ろすことになった。最後に残った梅は一夜で空を飛びきり、菅原公の居る大宰府の屋敷の庭に降り立ったという。 |
拝殿から向こう ご本殿
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福部社(十川能福) 白大夫社(度会晴彦) |
老松社(島田忠興) 火御子社(火雷神) |
狛犬(左)吽形 珍しく招き猫のように足を掲げている |
狛犬(右)阿形 |
ご神牛 |
三玉稲荷社 春崎稲荷社 |
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菅原道真公の伝承に関しては全国に数多とあるが、そのいずれもが菅原公を崇敬するものであり、いかに民衆に慕われていたか伺える。
筆者も数多の天満神社を参詣するうちに、そのお姿に感銘を覚えるようになってきた。
さて、話は境内に戻るが、神社には境内社が五つあるが、稲荷社以外は道真公の臣下であったり世話役や縁の方々の御霊である。
火御子社(火雷神)は天満神社では良く見受けられるご祭神で、祟りの神であるともされる。
神社の北側のはずれに「北菅大臣神社」があるが、元々は屋敷続きなっていたものだが、鎌倉時代に別の神社として分かれたとされる。 |
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場所は菅大臣神社の北参道を上り、少し右に折れて、更に路地を北上して進むと突き当たりにある。
現在は小社であり、菅原道真公の御父・是善をお祀りしている。扁額には「紅梅殿」と記され、往時を偲ばせている。
さて、次は四条通方面へ一筋戻り綾小路通の大原神社である。
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トリップ
19 2016/1/4 ルート履歴 ► 京都・四条通方面 |
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四条通・錦小路通 京都市下京区・中京区
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火除天満宮 京都市下京区寺町四条下ル貞安前之町613
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京都大神宮 京都市下京区新開町397
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神明神社 京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町
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佛光寺 京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397
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日吉神社 京都市下京区室町通仏光寺下ル山王町534
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繁昌の宮 京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町308
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菅大臣神社 京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
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大原神社 京都市下京区綾小路通室町西入る善長寺町135
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京都神田明神 京都市下京区新釜座町722
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火尊天満宮 京都市下京区風早町559-1
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天道神社 京都市下京区仏光寺通猪熊西入西田町615
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元祇園梛神社 京都市中京区壬生梛ノ宮町17
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壬生寺 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
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武信稲荷神社 京都市中京区今新在家西町38
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中山神社 京都市中京区岩上通六角下ル岩上町748
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越後神社 京都市中京区醒ヶ井通六角通上ル
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大神宮 京都市下京区間之町通松原上る稲荷町
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錦天満宮 京都市中京区新京極通四条上ル中之町537 |
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北菅大臣神社(紅梅殿) |
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