二年坂周辺 |
八坂神社から参道を南下し、一念坂・二年坂(二寧坂)を経て産寧坂(三年坂)に至るコースを進む。
この路は京都の情緒を味わいながら、ゆったりとした気分で歩きたい路である。
今日は雨であり、二年坂あたりまでは、まだ人通りはさほど多くはない。路には京都らしい町家や、洒落たお店が延々と並び、見ているだけでも楽しくなる。都会のビル等は一切ない。
また、八坂神社と清水寺を結ぶ経路でもあり、観光客は絶える事がない。
途中には「高台寺」や「京都霊山護国神社」の参道ともつながっており、観光にも事欠かない。
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この付近一帯は、路や坂にもそれぞれ名前がついていて「産寧坂」もその一つであるが、他に「一念坂」・「二寧坂」・「ねねの道」・「清水坂」など他にもたくさんあり、実のところ、どこからどこまでが、どの坂や路なのか、よくわからない。
「八坂」と言う地名があるくらいなので、他にも坂がたくさんあるのだろう。
大辞林で調べてみると「八坂」は 京都市東山区,八坂神社一帯の地名。近世から花街として知られた・・とある。
地図で調べても記載のない路や坂が多く、紹介するにも困ったものである。いろいろと見物しながらあるいているとおもしろいものが目に留まった。
何気ない町屋塀に、お面と思しき「芸術作品」が展示してある。まことに奇妙な様相の面々である。
色々と書いてあり、そのうちの一つに「写真撮影は一回100円」とある。・・・こういうシャレ?は京都ならではであろうか。
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「産寧坂」「清水寺」へ向かう途中、八坂の塔が見えてくる。
どうしても行ってみたくなったので、二年坂(二寧坂)から寄り道をする形で、八坂の塔へ向かう。
八坂の塔は、この地域のシンボルと言ってもいいくらい、街の景観を形作っている。
八坂の塔は正式には宝観寺と言い、その寺院の境内にある五重塔である。
宝観寺は聖徳太子の建立といわれ、創建当時は四天王寺や法隆寺のような大伽藍だったと言う。当初は「八坂寺」と呼ばれ、延喜式にも「八坂寺」の名がある。
現在の塔は永享12年(1440年)の再建とされ、重要文化財ではあるが、一般人でも中に入って二層部分まで上る事ができる日本で唯一の塔である。
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お地蔵さま |
土産物屋など京都らしいお店の店先 |
三年坂手前 |
さて、産寧坂へ近づいてきたが、ここまでくると更に人出が増えて、だんだん賑やかな状況になってくる。
連なる店先には興味を惹かれる品々が並び、見ているだけで目の保養になる。
二年坂をすぎ産寧坂手前角の辻に興正寺に参道がある。表示には別院となっている。
興正寺と言えば西本願寺の隣にある大きな寺院だが、こんな所に別院があるとは知らなかった。そして親鸞上人の本廟もここにあるらしい。
美しい参道で、時間があればゆっくり訪問したいところだが、先を急ぐ事にした。
少し歩くと石畳の先に産寧坂が見えてきた。
往来する人々の傘であふれて、どこが坂なのかよくわかる。 |
興正寺参道 |
本廟あんない |
情緒あふれる町並み |
三年坂 |
三年坂上手から |
産寧坂の名は、その昔、高台寺に居を構えていた豊臣秀吉の正妻(北の政所)「ねね」が、子供の誕生を念じて(産・念)坂をあがり、清水寺にお参りしていたことからその名前がついたという言い伝えがある。
たしかに清水寺には塔頭で泰産寺「子安の塔」がある。また、「ねね」がお参りした参道が「ねねの道」である。
話は変わるが、説話の中でも、まことしやかに語られるのが「産寧坂で転べば三年で死ぬ」と言うことらしい。雨道でもあるので、筆者気をつけて上る事にする。
付け足して言うと、二寧坂でも「二寧坂で転べば二年で死ぬ」と言うことらしい。・・・ほんまかいな?
とにかく気をつけて歩くにこした事はない。みなさんも足元にはお気をつけください。 |
清水寺 経書堂 |
産寧坂は結構こう配があり、一気に上ると結構きつい。
・・年のせいかも知れない。
さて、上り詰めた所に経書堂と言うお堂がある。ここで一休みする事にする。
この先は清水坂を通って清水寺へ向かいます。
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眞福寺
大日堂 東北大震災で被災した松から彫られた仏
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