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東大寺
【奈良・奈良市】とうだいじ

お参りした寺院を紹介しています。仏閣・仏像など、神社と異なる宗教色が魅力です。


東大寺


所在地 奈良県奈良市雑司町406-1
山号 なし
寺格 華厳宗
本尊 盧舎那仏
創建年 8世紀前半
その他 世界遺産、南都七大寺
南大門、本堂の盧舎那仏、大仏殿(本堂)他は国宝
大仏殿入堂料 大人500円・小人300円


2015/9/20 ルート履歴 ▶ 奈良・奈良市方面

 興福寺 東大寺 手向山八幡宮 春日大社 平城宮 日月神社

東大寺は興福寺の北東に位置し、創建時は興福寺と境内を接していたらしい。
 アシストサイクルだから移動が大変ラクだ。興福寺からの移動途中、至る所でシカを見かける。
  相変わらず愛嬌を振りまいている。大変いい感じである
程なく南大門に達する。
 東大寺は金光明四天王護国之寺とも言い、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国の一大事業として建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山は「良弁」となっている。
 奈良時代には大仏殿(金堂)のほか、東西に二つの七重塔(推定高さ約70m以上)を擁する大伽藍であったが、興福寺と同様二度に及ぶ兵火で大半の建物を失っている。

 現在の大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄)の再建で、創建当時に比べ、間口が縮小されている。 
 「奈良の大仏」として、現代に至るまで幅広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響をもたらした寺院であり、聖武天皇が全国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」でもある。

 その起源は、天平5年(733年)に、若草山麓に創建された金鐘寺とされる。
 天平13年(741年)に国分寺建立の詔が発せられ、金鐘寺は大和国の国分寺となり、同時に寺名は「金光明寺」と改められ、時を経て、大仏の鋳造が開始された頃に「東大寺」と呼ばれるようになったとの事である。
伽藍が全て完成するまでには40年近い年数を要したとされる。

仁王さまはドック入りで、代りの写真

せんべい くれ〜

 さて、南大門であるが、こちら国宝である。堂々たる威容に塗装の落ちた古びた感じがとてもいい。
 大仏様(だいぶつよう)と言われる建築法で建てられており、「貫」と言われる平行材が多用され、天井板も貼っていない。
木組みそのものが装飾である。
 門の左右には木造の「金剛力士立像(仁王像)」が安置されている。が、今回は保存修理のため一時引越されている。阿形像は快慶、吽形像は運慶の作とされる。
 残念である。その代りに写真が設置されている。ご親切がありがたい。
 この先を進むと中門が見えてくる。二層の楼門で神社建築と同じように見える。左右の提灯には十六条菊花紋。
 大仏殿へは中門から左に向かい、西楽門から入る。※入堂料が必要。大人500円・小人300円

せんべい ないの?

いよいよ大仏殿だ。
 アシストサイクルを留め、これからは徒歩だ。
料金を払い、西楽門を入ると、目の前に壮大な建造物が目を釘付けにする。
 でかい。これが全部木造だとは信じられない。しかも、奈良時代にせよ、江戸時代にせよ、建築重機やクレーンなどまったくない時代だ。
 やっぱり世界最大の木造建築だ。
とは言いたいが、実際には秋田県にある「大館樹海ドーム」やスペイン・セビリアに完成した「メトロポール・パラソル」だとか、東本願寺「御影堂」だとか、いろいろ説がありそうです。いずれにしても世界最大級であることには変わりはない。
 大仏殿は奈良時代に建立されたが、以後二度の兵火に遭い焼失している。

 その後、江戸時代に、公慶上人により大仏、大仏殿とも再建されたものが現在の姿だ。

 多くの参拝客でにぎわう正面の参道を進むと、手水舎、そして巨大な香炉、更に国宝でもある「金銅八角燈籠」が現れる。
 五年前にも訪れた事があるが、外国人の観光客が非常に多い。
東大寺に限らないが、わずかの間に急激に外国人観光客が増えたようだ。
  金銅八角燈籠は、高さ4.64m、これもでかい。羽目板は盗難に遭い、直後に発見されたが、その後は模造品を取付けている。東南面の羽目板は紛失した模様。
 さて、いよいよ堂内に入る事にする。

金銅八角燈籠(国宝)

大仏殿より中門を見る

堂内に入ると、巨大な本尊である「盧舎那仏」が鎮座する。
 脇侍に、木造の如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像を安置。
脇侍像も巨大であるが、本尊の大きさに比べると小さく見えてしまう。
 更に、広目天像と多聞天像を安置する。本来は四天王の内の二像で、四天王のうち残りの二像(持国天、増長天)は未完成のまま、それぞれ頭部のみが安置されている。

堂の内部は本尊を中心に、時計回りに巡覧する経路になっており、経路にはいろんな展示物がある。
 日英博覧会用に製作された、東大寺旧伽藍の模型や、大仏の手のひらのレプリカ、そして屋根上に設置される「鴟尾」も展示してある。

虚空蔵菩薩坐像

広目天像

日英博覧会用に製作された、東大寺旧伽藍の模型

鴟尾・鬼瓦等

「穴くぐり」オトナは窮屈です

 巡覧していると、前に列を成している人々を発見。何かと思えば「穴くぐり」の列らしい。
 大仏に向かって右の柱に四角い穴があいており、この穴をくぐると無病息災のご利益があるらしい。
 この穴は、大仏の鼻の穴と同じ大きさらしく、子供なら問題ないが、大の大人になると、少々きついか、太っていれば無理だろう。それでも順番列をみるとオトナが大勢いる。
 日本人って、意外と自覚のない信心持ちなのかも知れない。

※毎年正月1月1日の0時から8時までの間、中門(重要文化財)が開かれ、大仏殿内に無料で入堂できる。参拝は午前7時半から受け付けている。

多聞天像

如意輪観音坐像

法華堂(三月堂)

三昧堂(四月堂)

二月堂

興成神社 二月堂の前にぽつんとある。参拝しました。

さて、大仏殿を拝観し終わって、二月堂の方に向かう。
 大仏殿の東方には俊乗堂、行基堂、念仏堂、鐘楼などがあり、その東方の山麓は「上院」の地区で、開山堂、三昧堂(四月堂)、二月堂、法華堂(三月堂)などがある。
 さらにその南には鎮守の手向山八幡宮がある。
二月堂は「お水取り」で有名だ。正しくは「修二会」と言う。
 本意は、本尊に対する悔過(懺悔告白)することにあるらしい。「お水取り」の名は行の中で「閼伽井屋」から香水を酌む事に由来するらしい。
 途中「大松明」が二月堂の舞台で振り回される。この火の粉を浴びると、健康になる、あるいは幸せになると信じられている。また、行のなかで、途中にある小さな神社(写真左)で法要を営む。
 仏道修行を神社が守護するとは、非常に興味深いものだ。

二月堂階段

二月堂より大仏殿を望む

不動堂

二月堂から今度は不動堂、そして手向山八幡宮へ向かう。
 途中、またまた小さな神社を発見したので、写真に収めた。飯道神社である。(詳細は写真の由緒書きを参照されたし、でも、ご祭神は載っていない。)
 さらに進むと、今度は路脇に小さな祠?を発見(写真上)。
大きなものばかり見てきたので、妙に ほっこり します。
 大変かわいいです。何にも書いてませんし、なぜココにあるのかも分かりませんが、観音様みたいですし、とりあえず手を合わせておきました。

※手向山八幡宮は次のページで紹介しますので、次のページへお進み下さい。リンクは下記にあります。

大仏殿の西側、戒壇院(戒壇堂)のコースを終え、次は「手向山八幡宮」へ向かう。

次の目的地 → 手向山八幡宮

 6 2015/9/20 ルート履歴 ► 奈良・奈良市方面

興福寺 奈良県奈良市登大路町48番地
東大寺 奈良県奈良市雑司町406-1
手向山八幡宮 奈良県奈良市雑司町434
春日大社 奈良県奈良市春日野町160
平城宮 奈良県奈良市春日野町160
日月神社 奈良県奈良市下三條町28

戒壇堂


 

 

 

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