天之御中主神

神社参詣 寺院参詣 史跡・名所等 参詣の会

八坂神社
【京都・東山区】やさかじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

八坂神社

八坂神社


所在地  京都府京都市東山区祇園町北側625番地
御祭神  素戔嗚尊
櫛稲田姫命
八柱御子神
社格  二十二社(下八社)
旧官幣大社 別表神社
境内社 摂社、疫神社(蘇民将来)、悪王子社(素戔嗚尊の荒魂)、冠者殿社(天照大御神との誓約時の素戔嗚尊の御気)
末社、北向蛭子社、大神宮美御前社、大国主社、玉光稲荷社、日吉社、刃物神社、厳島社、太田社、大年社、十社、五社
その他 拝観料は必要なし


 トリップ 9 2015/11/8 ルート履歴
 京都・東山区方面

 大将軍神社 平安神宮 青蓮院 知恩院 京都霊山護国神社 八坂神社

 若宮八幡宮社 方広寺 豊国神社 妙法院 地主神社 清水寺 産寧坂

南楼門へ向かう途中で見える大雲院の祇園閣

 京都霊山護国神社を後にして、今回で最も行きたかった目的地のひとつが「八坂神社」である。
 四条通の突き当たりに面する朱の楼門は誰しも見た事のある景観ではないだろうか。
 また、最も馴染みを感じる神社でもある。
当初は円山公園側からの予定だったが、都合南側から入る事になったので、いつもの八坂神社とは違った表情を見る事が出来た。
 道中、大雲院の祇園閣も間近で見る事が出来る。
石鳥居をくぐると、雨模様にもかかわらず、美しい着物を纏った外国人の美女が赤い和傘を持った付き人とともに、参詣する様子が見れた。
 本当に最近は外人が増えたものだ。しかも、日本情緒を楽しんでいるかのようだ。
 いい感じである。筆者も一度は着物で参詣したいものだ。

石鳥居、その向こうが南楼門

鳥居をくぐると、その向こうには南楼門があり、四条側の楼門より規模が大きい。
 さらにその前には舞殿があり、人集りで囲まれている。
結婚式が行われているようだ。白無垢の婚礼衣装をまとった姿を見ると、いいものが見れたと、気持ちも明るくなる。
 さて、境内であるが、八坂神社は京都の中でもトップクラスの参詣者を誇る有数の神社だ。また、他の神社とは違い、24時間開放されている。
 更に四条通の正面と言う立地に加え、東西南北に門を配し円山公園にも接している。そのためか、年中日夜を通し参詣者は途切れる事はない。
 本殿は「祇園造」と言われ、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の形式である。西楼門などと併せ、重要文化財となっている。

南楼門

舞殿

外人さんの宮詣?

結婚式が行われていました

「祇園造」の本殿

 摂末社 も沢山あり、そのいづれもが立派な神社の拵えとなっている。
 本殿の回りを囲うように参道が巡り、正面を除き、ちょうどコの字型に社殿が配されている。
 その中で目に留まった額が2枚(下写真)ある。古事記・日本書紀が平成24年で編纂1300年を迎える、と記されている。
 三年前の記述であるが、この神社は御祭神が「素戔嗚尊」であり、古事記とは縁が深いのも頷ける。振り返ってみると、古事記は編纂1300年で、皇紀だと今年で2675年を迎えた事になる。 日本の歴史って本当に長い。その歴史の積み重ねが神社に詰まっているようにも思える。
 巡拝してる中で、気になる名の神社があった。
 「悪王子社」がそれで、いかにも怖そうな名であるが、御祭神は「素戔嗚尊」の荒魂なのだそうだ。
 元々は東洞院四条にあったものを、豊臣秀吉の命により転々と場所を移され、最終的にこの地へ迎えたとの事。

悪王子社

日吉社

美御前社

刃物神社

悪王子の「悪」は、「強い」と言う意味に解釈され、当時、京都に広がっていた疫病や、災害を鎮めたかったためお祀りするようになったらしい。
 この疫病などの原因は、非業の死を遂げた人々の怨霊の祟りであると考えられ、当時全国の国の数である66本の矛を立て、矛に悪霊を移し宿らせることで穢れを祓い、薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。
 因に、この御霊会(869年)が祇園祭の起源とされる。
薬師如来は仏教の仏であるが、当時の八坂神社は仏教寺院とも見られていたためである。
 また、牛頭天王は仏教由来の神であるが、神仏習合時に「素戔嗚尊」とも習合している。
 こうした理由により、その荒魂をお祀りしたものが「悪王寺社」であり、八坂神社では「素戔嗚尊」を御祭神とする。
 少々説明がややこしくなってしまったが、下記に牛頭天王について触れておく事にする。

神馬舎

牛頭天王(ごずてんのう)について
 元々はインドのインドラ神の化身の一つで釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされている。中国を経て奈良時代には日本に渡り、神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに「素戔嗚尊」の本地ともされた。
 八坂神社では元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」等と呼ばれていたものが、神仏分離令により「八坂神社」と改められた。
 また、「先代旧事本紀」では大国主の荒魂が牛頭天王であるされる。さらに、新羅(当時)には牛頭山という山があり、病を治する栴檀を産したところから、この山の名に由来した神と同一視するとの説もある。
 「日本書紀」に、素戔嗚尊が高天原から追放されて降臨した地が、新羅の曽尸茂利という所で、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述も存在する。

厳島社

大國主社

北向蛭子社

大国さまと白うさぎ像

 八坂神社については話しだすときりがないのだが、この辺にしといて、写真も撮った事だし、次は産寧坂方面へ向かうことにします。


次の目的地 → 産寧坂(三年坂)

続けてご覧になる方は下記をクリックして下さい。

 トリップ 9 2015/11/8 ルート履歴 ►   京都・東山区方面

大将軍神社 京都市東山区三条大橋東三丁目下ル長光町640
平安神宮 京都府京都市左京区岡崎西天王町97
青蓮院 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
知恩院 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400
京都霊山護国神社 京都市東山区清閑寺霊山町1
八坂神社 京都府京都市東山区祇園町北側625番地
産寧坂 京都府京都市東山区下河原町、桝屋町辺り
清水寺 京都府京都市東山区清水一丁目294
地主神社 京都府京都市東山区清水一丁目
妙法院 京都府京都市東山区妙法院前側町447
豊国神社 京都市東山区大和大路正面茶屋町530
方広寺 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
若宮八幡宮社 京都府京都市東山区五条橋東五丁目480



西楼門


 

 

 

ー 表紙古事記日本神話神道神々社寺探訪日本国ノベルブログ桐の会 ー

Copyright ⓒ Sakane. All Rights Reserved.