天之御中主神

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吉田神社
【京都・左京区】よしだじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

吉田神社

吉田神社


所在地 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
御祭神 建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神
社格 式外社、二十二社(下八社)旧官幣中社、別表神社
創建 貞観元年(859年)
境内社 斎場所太元宮など多数有り、文中に記す
その他 末社 竹中稲荷神社 は別ページにて紹介。斎場所太元宮は今回は不掲載、次回訪問時に掲載予定


トリップ 22 2016/1/26 ルート履歴
►  京都・東山区・左京区方面

辰巳大明神 満足稲荷神社 粟田神社 相槌稲荷 文子天満宮 満願寺

日吉神社 真正極楽寺(真如堂) 吒枳尼天(法伝寺) 金戒光明寺 岡崎神社

竹中稲荷神社 吉田神社 須賀神社 御辰稲荷神社 京都 熊野神社

東一条通の東端 参道入口 奥は吉田山

竹中稲荷神社より吉田山を経ての吉田神社への参詣であるが、紹介するにあたり、分かりにくい経路となるため、編集の上、正面参道よりの紹介とさせて頂く。

 まず吉田山についてだが、調べてみると正しくは「神楽岡」が歴史上では正しいのだという。実際現地名も神楽岡町となっている。
 南北に長く、吉田神社が東麓に鎮座し、南には真正極楽寺(真如堂)や金戒光明寺がある。さらに東側には竹中稲荷神社があり、北側の山頂部は公園となっている。
 様々な歴史の舞台にもなっており、吉田神道を大成した吉田兼倶が拠点とした吉田神社が当社である。
 吉田神社の正面は東一条通の東端であり、斎場所太元宮は離れて南側になる。 ご由緒等を下段に記す。

正面の提灯建 鳥居

参道 二の鳥居

二の鳥居

祖霊社

祖霊社 ご由緒

祖霊社 拝殿

祖霊社 本殿 講員の祖霊を祀っている

今宮社

今宮社 拝殿

今宮社 ご本殿

四神石のひとつ

今宮社 拝殿

案内図は吉田山全域 上部に竹中稲荷の参道鳥居も

境内 節分大祭の準備最中

山陰神社

 中納言藤原山蔭が平安京の鎮守神として、また一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。
 鎌倉時代以降、卜部氏(吉田家)が神職を相伝するようになり、室町時代末期には吉田兼倶が吉田流神道を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。
 斎場所大元宮には全国の神々が祀られ、ここで参拝すると全国の神社へ詣ったのと同じ効験があるとされ、全国から篤く崇敬されている。
 近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。寛永5年(1665年)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権を与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を誇った。

山陰神社 駒札

山陰神社 吉田神社の創始者・藤原山蔭卿、恵比須神を祀る

菓祖神社

菓祖神社 節分大祭準備中

菓祖神社 菓子の神・田道間守命、林浄因命を祀る

菓祖神社 ご由緒

境内 石段上が若宮社

若宮社より境内を望む 奥が本宮

若宮社 天忍雲根命

摂社 
● 若宮社 祭神・天忍雲根命
● 神楽岡社 祭神・大雷神、大山祇神、高龗神
末社
● 斎場所大元宮 祭神:天神地祇八百万神 式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀る。中門から参拝はできるが、本殿や東西諸神社の参拝は日が決まっており(正月3日間と節分祭、並びに毎月1日)、今回は残念ながら不可
● 神龍社 祭神・吉田兼倶(神龍大神)
● 今宮社 祭神・大己貴神・大雷神・健速須佐之男命
● 祖霊社 祭神・講員の祖霊
● 菓祖神社 祭神・田道間守命、林浄因命
● 山蔭神社 祭神・藤原山蔭、相殿:恵比須神
● 三社社 祭神・多紀理毘売命、狭依毘売命、多岐津毘売命、金山毘古命、金山毘売命、菅原神
● 竹中稲荷神社 祭神・宇賀御魂神、猿田彦神、天鈿女神
● 天満宮社 祭神・菅原道真公(竹中稲荷神社境内)

若宮社 拝殿

元の氏神、神楽岡社 大雷神、大山祇神、高龗神

神楽岡社 駒札

節分大祭 雪洞(ぼんぼり)が出番を待つ

本宮拝殿前 鳥居

中門横の殿社

本殿前 中門

中門より内拝殿・本殿を望む 春日造りの本殿が美しい

ご由緒駒札 京都市

● 田道間守命
新羅の渡来神の「天日槍」を始祖し、後の三宅連(三宅氏)の祖とされる。
 「古事記」によれば、多遅摩毛理(田道間守)は「橘」を求め、常世国に遣わされた。多遅摩毛理は常世国に着くとその実を取り、枝葉を持って帰ってきた。しかしその間に天皇は崩御していたため、大后に献上し、半分を天皇の陵の入口に供え置いて泣き叫んだ。遂には嘆き悲しみの末に絶命したという。
 この説話に基づいて菓子神・菓祖とされ、菓子神として全国各地で祀られ、菓子業者の信仰を集めている。
● 藤原山蔭
平安時代前期の公卿。吉田神社の創始者。四条流庖丁式の創始者でもある。(庖丁式は大きなまな板を前にし、魚等を手を触れずに包丁でさばく神事)以前は磐鹿六雁命の末裔高橋氏が庖丁式を執り行っていたが、光孝天皇の命により新たな庖丁式(料理)を編み出した。

本宮拝殿

神鹿像

さざれ石 案内の駒札

さざれ石

神龍社 石段を登る

神龍社 駒札

神龍社 山中ひっそり佇む

神龍社 祖霊社で、卜部(吉田)兼倶を祀る

神龍社

節分大祭の準備に追われる中、境内を巡拝させて頂いたのだが、三社社と斎場所大元宮のみ参拝できなかった。
 斎場所大元宮は筆者の思い違いで、指定日のみの参拝しかできないと思っていたのだが、実際は中門で参拝できる事を知らなかったためであり、残念至極である。
 斎場所大元宮の本殿や東西諸神社の参拝日は正月3日間と節分祭、並びに毎月1日となっている。必ず次回は参拝し、お姿を頂きたく思う。

 この後は南下し、東天王といわれる岡崎神社に対し、西の天王である須賀神社へ向かう。

次の目的地 → 須賀神社

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トリップ 22 2016/1/26 ルート履歴 ► 京都・東山区・左京区方面

辰巳大明神 京都市東山区元吉町
満足稲荷神社 京都市左京区東大路仁王門下ル東門前町527
粟田神社 京都市東山区粟田口鍛冶町1
相槌稲荷 京都市東山区中之町(三条通)196
文子天満宮 京都市左京区岡崎法勝寺町130 (満願寺境内)
満願寺 京都市左京区岡崎法勝寺町130
岡崎神社 京都市左京区岡崎東天王町51
金戒光明寺 京都市左京区黒谷町121
吒枳尼天(法伝寺) 京都市左京区浄土寺真如町82
真正極楽寺(真如堂) 京都市左京区浄土寺真如町82
日吉神社 京都市左京区浄土寺真如町53
竹中稲荷神社 京都市左京区吉田神楽岡町3-64
吉田神社 京都市左京区吉田神楽岡町30
須賀神社 京都市左京区聖護院円頓美町1
御辰稲荷神社 京都市左京区聖護院円頓美町
京都 熊野神社 京都市左京区聖護院山王町43



吉田山より眼下 菓祖神社

吉田山公園へ


 

 

 

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