天御中主之神

神社参詣 寺院参詣 史跡・名所等 参詣の会

豊国廟
【京都・東山区】ほうこくびょう

参詣の会や個人で巡った史跡や名所を、観光を兼ねて記録しています。

豊国廟


豊国廟


所在地 京都府東山区今熊野北日吉町
施設分野 廟所(豊臣秀吉)
観覧料等 なし。石段から上は登拝料が必要となる。100円  
その他 豊国神社(豊国廟)の管理する廟である。豊国神社については → 豊国神社 を参照。また、隠れた桜の名所と言われる。


トリップ 23 2016/1/31 ルート履歴
►  京都・東山区・下京区方面

松明殿稲荷神社 瀧尾神社 新熊野神社 剣神社 新日吉神宮

文子天満宮 市比賣神社 山王神社 三嶋神社 豊国廟

尚徳諏訪神社 若宮八幡宮 稲荷福若大明神神社 蛭子神社

参道入口 大鳥居

新日吉神宮の入口隣に豊国廟への参道があり、大きな石鳥居が目印となる。
 現在の豊国廟は豊国会により全国からの募金により整備されたもので、管理は豊国神社が行っているらしいが、鳥居があり手水舎があり、拝殿があり、その佇まいは神社と何ら変わらない。
 参道入口の鳥居からは結構な距離があり、二の鳥居からは境内地となっている。
 広々とした境内には梅の木が咲き誇り、多くの桜の木が開花を待っている。幾つかの建物と五輪塔等があり、墓所石段の手前には小さな管理所があり係の方が常駐しているようだ。
 そんな中、若い女性の参拝者が一人墓所石段を登っていくのが印象的に思える。

 駒札があったので下記に内容を記す。

入口の隣、京都女子大の建学記念館錦華殿

しばらく行くと再び石段

廟所への参道

参道傍に紅梅

豊臣秀吉の廟所(墓所)である。
 天下統一を果たした秀吉は、慶長3年(1598)八月十八日、伏見城で秀吉は六三歳の生涯を閉じ、遺体は、遺命により、ここ阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹に葬られた。
 翌年四月十八日、秀吉は後陽成天皇より正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、山腹には境内域三十万坪、社嶺一万石を誇る壮大壮麗な豊国社が創建された。以後、毎年四月と八月の十八日には勅使や北政所、豊臣秀頼の名代を迎え、盛大な例祭(豊国祭)が執り行われたが、慶長二十年(1615)豊臣家が滅びると、幕府は豊臣社の廃祀を命じ、以後は参詣する人もなくなった。
 現在の廟は明治三十一年(1898)、豊太閤三百年祭に際し、豊国会により全国からの募金で整備されたもので、そのとき墳上に高さ約10メートルの巨大な五輪石塔(伊藤忠太設計)が建てられた。なお、社殿は、明治一三年(1880)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されている。 ※駒札より元文ママ

境内にある殿社

境内にある五輪塔だが詳細不明

拝殿から向こう、墓所石段

ここから先、登拝料が必要100円

拝殿

 この地域一帯には豊臣秀吉に縁のある社寺が多いが、殊、隣の今日吉神宮は末社の樹下社において豊国神社のご神体を守り、妙法院ではその豊国神社を管轄下に置き、方広寺では徳川に滅ぼされたきっかけとなった梵鐘が今も安置されている。
 興味のある方はご覧頂きたい。

リンク→ 今日吉神宮 豊国神社 妙法院 方広寺

 この街、京都では「ほうこくさん」という愛称で親しまれており、京都の隠れた桜の名所でもある。筆者疲れて石段上の墓所までは行けなかった。ため、石段前にて合掌。
 穏やかな日差しに包まれ、心地よい社叢の中、立派になった日の本の国に、太閤様も安心してお休み頂きたいものだ。

次の目的地 → 三嶋神社

続けてご覧になる方は下記をクリックして下さい。

トリップ 23 2016/1/31 ルート履歴 ► 京都・東山区・下京区方面

松明殿稲荷神社 京都市下京区稲荷町七条大橋西詰南
瀧尾神社 京都市東山区本町11丁目718
新熊野神社 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
剣神社 京都市東山区今熊野剣宮町13
新日吉神宮 京都市東山区妙法院前側町451-1
豊国廟 京都市東山区今熊野北日吉町61-1
三嶋神社 京都市東山区東大路通東入上馬町3丁目
山王神社 京都市東山区清閑寺池田町
市比賣神社 京都市下京区六条通河原町西入本塩竈町593
文子天満宮 京都市下京区間之町通花屋町下る天神町400
尚徳諏訪神社 京都市下京区諏訪町鍵屋町下ル西側
若宮八幡宮 京都市下京区若宮通花屋町上ル若宮町
稲荷福若大明神神社 京都市下京区若宮通六条上ル
蛭子神社 京都市下京区蛭子水町610


石段、500段ある。これより先が墓所


 

 

 

ー 表紙古事記日本神話神道神々社寺探訪日本国ノベルブログ桐の会 ー

Copyright ⓒ Sakane. All Rights Reserved.