天之御中主神

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尚徳諏訪神社
【京都・下京区】しょうとくすわじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

尚徳諏訪神社

尚徳諏訪神社


所在地 京都府京都市下京区諏訪町鍵屋町下ル西側
御祭神 諏訪大明神 建御名方神 八重事代主神
創建 延暦二十年(797年)
境内社 弁財天
その他 坂上田村麻呂の創建による。
 また、現在の社殿は孝明天皇の下賜による。


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尚徳諏訪神社 若宮八幡宮 稲荷福若大明神神社 蛭子神社

烏丸通の一筋西、諏訪町通に面す

文子天満宮より西へ烏丸通を超えて一筋目、五条通からは二筋南に位置する。七九七年の創建というかなりの古社、それが尚徳諏訪神社だ。
 神社自体は小さいが、歴史がぎっしり詰まった由緒を有する。
以下、京都市の駒札より。

 延暦十六年(797)桓武天皇より蝦夷平定んおため征夷大将軍を拝命した坂上田村麻呂は、かねてより信州の諏訪大明神を深く信仰しており、そのおかげで戦果を挙げ、延暦二十年(801)平安京に凱旋した。
 社伝によれば、その御礼のため、五条坊門の南に社殿を造営し、信州より諏訪大明神の分霊を勧請し祀ったのが創始である。
 以来、時代を経るごとに社殿も荒廃していったが、その都度、源義経や足利義満、徳川幕府等によって社殿と境内地が復興された。

ご祭神 由緒等

京都市 駒札

境内

拝所 ご本殿

 特に元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門の変)の兵火では、社殿はことごとく焼失し、再建もおぼつかなかったが、孝明天皇が再建のためにと、金百五十両と菊の紋入の提灯一対を下賜され、慶応二年(1866)に再建し、今日に至っている。※京都市駒札より
 何気ない神社のようだが、由緒の記すところ、深い暦の上に、近年では孝明天皇まで登場している。恐れ多い事この上ない。

 小さな境内には小さな末社があるが、その他忠魂碑も安置されている。京都の他の小さな神社では、あまり見かけないが、皇国と、その英霊への尊崇の念からだろうか。

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松明殿稲荷神社 京都市下京区稲荷町七条大橋西詰南
瀧尾神社 京都市東山区本町11丁目718
新熊野神社 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
剣神社 京都市東山区今熊野剣宮町13
新日吉神宮 京都市東山区妙法院前側町451-1
豊国廟 京都市東山区今熊野北日吉町61-1
三嶋神社 京都市東山区東大路通東入上馬町3丁目
山王神社 京都市東山区清閑寺池田町
市比賣神社 京都市下京区六条通河原町西入本塩竈町593
文子天満宮 京都市下京区間之町通花屋町下る天神町400
尚徳諏訪神社 京都市下京区諏訪町鍵屋町下ル西側
若宮八幡宮 京都市下京区若宮通花屋町上ル若宮町
稲荷福若大明神神社 京都市下京区若宮通六条上ル
蛭子神社 京都市下京区蛭子水町610



弁財天

忠魂碑


 

 

 

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