お初天神通り 夜は人でいっぱいです |
仕事の関係で、よく梅田は通過する。そう、通過するだけだ。
そして思うのだが、以前から行ってみたいと気にかけていたのが、お初天神こと「露天神社」だ。
今回こそはと、思い切って寄り道をする事にした。
経路は阪急東通り側から、お初天神通りを南へ向かう。お初天神通りも懐かしい。
以前はよく「炉端」に、飲みにきた思い出がある。通りの中程に、パチンコ屋があったが、工事中の塀になっている。
パチンコ屋の建物は完成していない骸骨ビルの1階にあり、パチンコ屋以外は廃墟同然の面持ちだが、取り壊される事になったらしい。数十年ぶりだろう。
さて、骸骨をすぎて、すぐにお初天神ビルの看板が目に入る。
裏口である。ワクワクしながら、さっそくお参りに。 |
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だいぶ前に一度だけ来た記憶があるが、その時が夜であったためか、薄暗く、格段の印象はない。
しかし、境内に入ると大変華やいでいる。賑々しいと言うべきか、これはこれで大変いい感じである。
さてさて、お初天神の名の由来であるが、元禄16年に堂島新地の天満屋の遊女「お初」と平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(露天神社の裏手)」にて心中した。
この二人の悲恋を近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」として発表し、大きな反響を呼んだ。このため露天神社は一躍有名となり、主人公の「お初」の名前に由来して、通称「お初天神」と呼ばれている。
境内には、この古事に由来する、曽根崎心中の碑や道祖神、更に、回すと難を転じる「難転石」等がある。
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さすが「恋人の聖地」。恋絵馬もたくさんたくさん |
恋人の聖地認定です |
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創建は古く、定かではないが、一千三百年の歴史を持つ古社である。
創建当時のこの地は、大阪湾に浮かぶ島だったらしい。「住吉須牟地曽根ノ神」が鎮座し、この神名が、この地の由来となっている。
また、「露天神社」の名は、ご祭神の一柱「菅原道真」が太宰府へ左遷される途中、この地で都を想い、涙を流したからとも、梅雨のころに神社の井戸から清水が湧き出たためともいわれている。
本堂であるが、空襲により焼失したが、昭和三十二年に再建されたものである。
ご祭神は、大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真、と、そうそうたるものだ。不謹慎かも知れないが、一度にたくさんの神様に参拝できて、嬉しくもある。 |
拝殿(本殿) |
摂末社には、金刀比羅宮・水天宮(天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱)
開運稲荷社(玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神)
難波神明社(天照皇大神・豊受姫大神)
大阪三神明の夕日神明社。
水天宮「天乃御中主大神」もいらっしゃった。このサイトのお名前を頂いた神様だ。ここはしっかり参拝。
さて、ここから淀屋橋に向かうのだが、表参道から出る事になる。正面の鳥居をくぐると、目の前に大きな真新しいビルがある。そのビルの一階をくりぬくように参道がつづいている。驚きである。
ここでもやっぱり、神様は強かった。
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なぜか狐(神狐)の写真が。
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こちらが表になります。 |
なんと!ビルの一階を参道が突き抜けてる。 |