森ノ宮駅前の交差点 大阪城公園の正面玄関 |
玉造稲荷神社から森ノ宮へ戻るのだが、坂道を下る道筋になり、自転車は勝手に駆け下りて、一気に
森ノ宮、大阪城公園の正面に到着する。あ〜っラクだっ!!
筆者、自転車で大阪城公園まで来たのは初めてである。途中から徒歩になるものの、♪非常に楽で気分がいい♪。
大阪城公園は東西南北ともに一辺1km程度あり、実に広大である。
普通に交通機関を利用するにも、たくさんの路線や駅があって必ず調べてから来る事をおすすめする。
間違った経路を辿るととんでもなく歩く事になる。
お薦めのコースとしては、森ノ宮から入って本丸を一周し、できれば西の丸庭園を通って再び本丸に戻り、天守閣の北側から極楽橋を通って大阪城公園駅へ抜けるのが一番いいように思う。
参考程度に下記に地図と最寄り駅の一覧を記しておいた。参考にして頂ければ幸いである。 |
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各駅から天守閣までの距離は大差ないが下から3つはやや遠い
▶大阪城公園駅 (JR大阪環状線)
▶森ノ宮駅 (JR大阪環状線、大阪市営地下鉄中央線、地下鉄長堀鶴見緑地線)
▶大阪ビジネスパーク駅 (地下鉄長堀鶴見緑地線)
▶大手前もしくは馬場町停留所 (大阪市営バス62号系統)
▶大阪城港 (アクアライナー)
▶谷町四丁目駅 (地下鉄谷町線、地下鉄中央線)
▶天満橋駅 (地下鉄谷町線、京阪電鉄)
▶大阪城北詰駅 (JR東西線)
筆者一行は森ノ宮から桜門のコースでスタートである。 |
大阪城公園、広大だ。遥か向こうに天守が見える |
樹々も色づき、晩秋を感じさせる |
自転車を留めて、ここから徒歩で巡る |
途中で見つけた"ハト"です。かわいいです。 |
一番櫓(重要文化財) |
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桜門(重要文化財) |
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筆者一行は二の丸の東側を散策の後、豊國神社へ向かうが、この詳細は別のページにて紹介する → 豊國神社
さて、森ノ宮方面から進むと、外濠を見ながら、自然に二の丸に至るが、この経路では紅葉に彩られた樹々と、お濠の景色がとても美しい。
二の丸に入ると、今度は内濠が空濠になっていて(写真左)この雰囲気もたまらなく素敵である。桜の季節もいいが、秋も別の趣を見せてくれて最高である。
さらに進んで、桜門前に至るとお店もあり、豊国神社へ参詣する人と一緒になって大変な賑わいである。
いかにも観光地らしい雰囲気だ。
さあ、ここから桜門を通って本丸に向かう。
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二の丸桜門前、向こうに豊國神社の鳥居が見える
▼ここから本丸へ進みます |
豊國神社鳥居横の売店。日曜とあって人出は多い |
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巨大な石(蛸石)、どのようにして運んだのか? |
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旧・大阪市立博物館・陸軍第四師団司令本部 |
桜門は大阪城本丸の正面玄関にあたり、往時は桜の並木があった事から名の由来となっている。重要文化財であるが、現在のものは陸軍の再建によるものである。明治維新の際に桜門はもとより渡櫓、渡門、続多聞など全て焼け落ちている。
桜門をくぐると三方石垣で囲まれた「枡形」と呼ばれる構造になっており、巨大な石が連なっている。中でも蛸石が有名で、城内第一の巨石である。
枡形をぬけると、正面にアンチックな建物が見える、旧大阪市立博物館である。
博物館は平成14年に馬場町へ引っ越しており現在はイベントなどの時等しか使用されていない。古くは陸軍司令部であり、警察署が置かれたり、GHQに接収されたりと、歴史を刻んできた建物だ。
さて、少々疲れたので、ここらで休憩する。近くに売店があったので抹茶ソフトを頂いた。 |
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戦国武将と記念撮影 自分で撮る分には無料です |
大変ありがとうございました、 |
おおーっつ!あの出で立ちは、兜の六文銭はもしや、真田幸村さまであられるか・・てな感じで、ボランティアの方が無料で記念撮影の場を提供されていました。
筆者の要望にも快く応えて頂き、撮影に収まって頂きました。感謝感謝です。
こういう戦国武将がいらっしゃると、本っ当にお城へ来たんだなあ〜って感じる訳です。がんばってくださいませ。
そんでもって今度は下記、「タイム・カプセル」、
筆者も小さいころ、親に連れられて大阪万博に何度も行った記憶がありまして、その時に松下館(現在のパナソニック)にあったシロモノです。
たしか、二つあって一つは2000年に開封、以後100年毎に開封、ここにあるもう一つは6970年に開封されるそうである。
カプセルの中には当時の文化がたくさん詰まっていて、着せ替え人形とか家電とか本とか、ま、私めは生きてない事でしょうから、未来の人によろしくお伝え下さい・・てな感じです。
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大阪万博なごりの「タイム・カプセル」 |
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高度成長期の頃、大阪城周辺で高層ビルの建設計画があちこちであったらしいが、太閤さんの大阪城が遮られて、見えなくなるとの事で、制限ではなく、みんな建築を遠慮したとの事らしい。
天満橋のOMMビルも、もっと高くしたかったらしく、計画段階で難儀したとかしなかったとか・・・
▼ここから下は本丸北側・外濠・京橋口方面になります。
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いよいよ天守閣である。大阪のシンボルそのものが目の前にある。
平成の大修理でさらに美しくなってずっと眺めても飽きる事がない。
現在の天守閣は三代目にあたり、元の築城は豊臣秀吉による。その後徳川により二代目が復興され、昭和には当時最新工法による鉄筋コンクリートを用いた近代的な城郭へ生まれ変わった。
さらに平成の大修理で耐震耐火性能が大幅に向上され、外観も至る所に金色の装飾が施され、格段に輝きを増している。
内部は8階構造になっており、博物館のように各階にテーマ毎に展示スペースが設けられている。高校生以上有料(600円)です。
以下各階の内容を記しておく。
1階 天守閣の入口 シアタールーム・ミュージアムショップ
2階 お城の情報コーナー パネル・レプリカ展示
3階 豊臣秀吉とその時代 本丸復元模型・歴史資料展示
4階 豊臣秀吉とその時代 歴史資料展示
5階 大坂夏の陣図屏風の世界 映像とミニチュア模型
7階 豊臣秀吉の生涯 からくり太閤記史実・真説太閤記
8階 展望台 地上50m・ミュージアムショップなど
※ 6階は吹き抜け状態らしい |
内濠から北側を臨む |
極楽橋(北側)美しい木の橋です |
北側から見上げた天守。壮大です |
極楽橋の擬宝珠、あんまり美しいので写真に収めました。 |
北外濠方面・京橋口、大阪城ホールが見えます。
▼ここから下は本丸に戻ります。 |
東外濠の石垣。本当に美しいです。
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教育勅語の碑 大阪城公園本丸広場
昭和5年(1930)10月30日に発布した教育勅語を記念して、 翌年の紀元節の日に大阪市教育会が建てた。 以前にも訪れたがしっかり見るのは今回が初めてである。
中央に碑文があり、左に内容を記しておく。
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国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに、進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。(国民道徳教会訳文)
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日本庭園 |
本丸から二の丸南方面、修道館を臨む |
本丸から見る豊國神社、別ページで紹介しています。 |
▶ここから二の丸南方面 修道館、柔道・剣道等武道の道場 |
大阪市立修道館は、元々は警察学校の道場があった場所に建設された武道場である。
警察学校の道場が堺市へ移転する祭に、大阪中学校体育連合が、青少年の錬成道場として残すよう要望したのを機に、残すのではなく、新築とする案が決定された。
その後市民の募金と市の資金で建設された。現在でも青少年が精進する武道の場となっている。
料金は小・中学生で1回70円6か月では3000 円とかなり良心的だ。
柔道・剣道・長刀の他、弓の道場ともなっている。
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石山本願寺はよく聞く名であり、興味を惹かれたので紹介しておく。
上記案内によると、明応五年(1496)に蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立したのが始まりとされる。大坂と云う地名はこの頃から生まれたらしい。
その後、本願寺教団の本拠として発展し、本願寺城と云われるほどになり、広大な寺内町も形成された。これが今の大阪の原型とされる。
さらにその後、織田信長との石山合戦に破れ、本拠を京都堀川へ移転している。寺は破壊され、境内地には大阪城が造営された。
実際の場所は推定によるしかないが、大阪城内である事は間違いないらしい。
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六番櫓(重要文化財) |
外濠・馬場町方面、高い建物は NHK放送センター |
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南仕切門跡 |
多聞櫓(重要文化財) |
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多聞櫓(重要文化財) |
鋲がびっしりの鉄扉 |
大手門(重要文化財) |
見上げるとかなり大きい |
千貫櫓・多聞櫓(重要文化財) |
千貫櫓(重要文化財) |
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さて、大手門の方まで辿り着いたが、ここも巨大な石と、現存する多門櫓が見物である。壮大で重厚な鉄の扉は城郭ならではである。
この多聞櫓と千貫櫓は定期的に内部を開放しているらしいが、一度は拝見したいものだ。
かなり歩き回ったが、大阪城を二時間程度で巡覧するには時間が足りなさすぎる。しっかり見るには丸1日は必要なようだ。
►次の目的地 → 城テラス JO-TERRACE
OSAKA
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修理中の石垣
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