天之御中主神

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須佐之男尊神社(関目神社)
【大阪・城東区】すさのおのみことじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

須佐之男尊神社(関目神社)

須佐之男尊神社(関目神社)


所在地 大阪府大阪市城東区成育5-15-20
御祭神 素戔嗚尊
社格 村社
境内社 毘沙門天王社など
その他 「関目発祥之地」の碑がある。また、大阪城の鬼門封じの社であったとか。


トリップ 11 2015/11/22 ルート履歴
►大阪・城東区・中央区方面
天守閣と城テラスは後日追加

須佐之男尊神社(関目神社)水神社(野江神社)若宮八幡大神宮

豊國神社玉造稲荷神社鵲森宮八劔神社皇大神宮

大阪城 城テラス 大阪城天守閣 大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑

関目商店街

今回は会のメンバーと 自転車トリップだ。
 スタートラインを関目に設定、気分よく軽快に走る。

関目は昔住んでいた事があり、通りすぎる景色の何もかもが懐かしい。京阪関目駅の南に関目商店街があり、古いアーケードは昔のままだ。駅前も店は変わったが、昔の景観を維持している。
 古い庶民の街そのものの佇まいである。
駅前にお地蔵さんがあり、きれいにされているので、参拝させていただいた。この地域はお地蔵さんは多いのだが、神社は結構少ない。
 筆者も、あちこちで行われる地蔵盆や盆踊りは出かけた記憶があるが、地元での宮参りの記憶はない。
 関目駅の向かいすぐが国道1号線であり、横切って一番目の目的地「関目神社」へ向かう。

関目駅前にある地蔵さま

駅からは自転車では、すぐについてしまう距離である。
 正面の鳥居には七五三ののぼりが掲げられ、境内には出店まであって、雰囲気を盛り上げている。隣の氏子会館では七五三の祭事を行っているようだ。
 御祭神は素戔嗚尊をお祀りしている。
創建当時は牛頭天王(ごずてんのう)と毘沙門天王を勧請したとされている。牛頭天王と言えば八坂神社を思い出すが、鎮護にあたるための武神であることは双方の神に共通する。
 神仏習合の上では牛頭天王は素戔嗚尊のことである。
参拝の後、境内を一巡。本殿の傍らに毘沙門天王社があり、ここでも参拝。
また、関目発祥の石碑があり区長の名の下、由緒が認められている。
 野江・関目を中心とした一帯は、平安時代以降は榎並荘と呼ばれていましたが、そのころからこの地は「関目」と呼ばれていました。この地に見張り所(目で見る関所)があったことから生まれた名だといわれています。・・とある。

手水舎

ご由緒

七五三で?出店 いいですな〜

拝殿(本殿)

さて、須佐之男尊神社の由緒であるが、これも由緒書を記す。

 当地の氏神様である関目神社は、天正八年、豊臣秀吉が大阪築城の際、防備の一策として関目より古市・森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲がりという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。
 これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに創まり、明治五年村社に列せられ須佐之男尊神社と称した。

 それにしても当時は、京都も大阪も神様の御威光は大変なものだったのだな・・と感じる次第である。

本殿

毘沙門天王社

七五三の祭事の方々が氏子会館から出てこられて、きれいに着飾った子供も一緒。
 やっぱり子供に和服はとってもいいですなあ〜

次は水神社(野江神社)へ向かいます。

次の目的地 → 水神社(野江神社)

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トリップ 11 2015/11/22 ルート履歴 ►大阪・城東・中央区方面

須佐之男尊神社(関目神社) 城東区成育5-15-20
水神社(野江神社) 大阪府大阪市城東区野江4-1-39
若宮八幡大神宮 大阪府大阪市城東区蒲生4-3-16
皇大神宮 大阪府大阪市城東区今福南2-12-31
八劔神社 大阪府大阪市城東区鴫野東3-31-8
鵲森宮 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1-14-4
玉造稲荷神社 大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
豊國神社 大阪府大阪市中央区大阪城2-1
大阪城 大阪府大阪市中央区大阪城
城テラス 大阪府大阪市中央区大阪城3-1(追加)
大阪城天守閣 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑 大阪府大阪市都島区片町2-3




 

 

 

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