京阪沿線に沿って、歩道(参道?)が公園化されている。 |
京阪枚方駅を西方向、沿線沿いに進む。しばらく歩くと道は遊歩道のようになり、せせらぎが流れる公園のようになる。
さらに歩を進めると突き当たりになっており、その先が石段となっている。
ここからが参道だろうか、今までも参道であろうか、いずれにしても快適な散歩コースのようで、少々の距離は苦にならない。
歩道の突き当たりから石段になっており、周囲には小祠や案内板等があり「万年寺周道 癒しの里」と呼ばれ、公園のようになっている。
さて、石段を登ると今度は市街を見晴らせる展望公園だ。ここは豊臣秀吉の造営による御茶屋御殿跡でもあり、筆者も見晴らしてみたが、なかなかのものである。
反対側には梅林がある。帰りに寄ってみることにする。少し歩くと鳥居が見えてきた。 |
沿線に沿って枚方公園方面に進むと、参道の石段が現れる |
鳥居の先がさらに石段になっており、登り詰めると境内が現れる。
この山は万年寺山と呼ばれ、高麗の僧・恵灌が、淀川を見渡せる風光明媚なこの地を愛で、眺めが唐の林岸江に似ているとして、草庵を営んだのが万年寺の起源とされる。推古天皇の時代の事だ。
寺院そのものは明治の神仏分離令により廃されたが、石碑などが面影を残している。また、境内には、古墳時代前期の万年寺山古墳があり、青銅鏡が出土している。※枚方市HPによる。
意賀美神社はこの小高い山の上に鎮座する式内社である。
淀川の鎮守として創建されたものとされ、祭神には水の神である 高龗大神を祀る。素盞嗚大神・大山咋大神・大国主大神はそれぞれ、元この地にあった須加神社や、旧岡村の氏神山王大権現が合祀されたものと伝わっている。
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参道手前にあります 道祖神様? |
御茶屋御殿跡の案内 豊臣秀吉の造営による |
石段を上がり切ると展望公園になっている「御茶屋御殿跡」 |
一の鳥居 |
枚方八景の案内「万年寺山の緑陰」 |
更に石段があり、頂部には注連掛が |
末社 琴平神社 |
琴平神社 内陣 大物主神 |
境内・拝殿 |
拝殿 |
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石段を登り詰めて注連掛をくぐると、すぐに末社「琴平神社」がある。旧須賀神社の本殿らしく大物主大神をお祀りしている。反対側には「稲荷社」が鎮座し、豊受大神と宇賀魂大神をお祀りしている。それぞれ巡拝し本殿へ向かう。
さすがに正月とあって境内は初詣の人々で賑わっている。ここにきてやっと初詣の雰囲気がしてきた感である。
続いて本殿の参拝だ。ご祭神の高龗大神(たかおかみのおおかみ)は「古事記」によれば、伊邪那岐神が火の神迦具土神を斬ったときに、
剣の血が指の股から洩れ出て生じた二神の一柱とされ、もう片方を闇龗大神という。
「高」は山上を指し「闇」は谷を指す。淀川の水害と舟の航行安全を祈願して、古来山頂より淀川をずっと見守ってこられたのだろう。
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神楽殿 |
忠魂碑 砲身を砲弾が取り囲む |
明治神宮遥拝所 |
皇祖遥拝所 |
稲荷社 鳥居 |
鳥居の奥 稲荷社 |
稲荷社 豊受大神・宇迦之御魂神 |
案内があり、ご由緒等記されている |
ただの石かと思ったら、何か供えてありました |
境内 絵馬の前 さすが正月、賑やかだ |
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意賀美 一月なのに梅の花がちらほら |
境内には外国人の参拝者も結構いらっしゃる。こんな所でも見掛けるとは日本も本当に国際的になったものだ。
嬉しい事は、こうして日本の神々へ触れて頂ける事だ。自然や万物を大切にする日本の心を少しでも理解して頂けたら、喜びこの上ない。
少々の休憩を取って次の訪問地へ向かうのだが、万年寺山古墳の形跡も見てみたかったのだが、表示も無く分からなかった。
明治に小学校の工事中に銅鏡8面が出土して話題になったらしいが、豊臣秀吉が茶屋御殿などを造った影響で、地形がずいぶん変わってしまったらしい。
下山途中に梅林へ寄ってみた。さほど広くはないが、百本ほどの梅の木が植えられ一部は開花している。わずかながら甘い香りが漂い、春を予感させる。
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ここからは東へ向かい、再び枚方市駅を超えて御狩野神社へ向かいます。
途中、駅の高架下で地蔵さまを発見。初地蔵さま詣となる。
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トリップ 18 2016/1/2
ルート履歴 ► 大阪・枚方市方面 |
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百濟王神社 大阪府枚方市大垣内町1丁目
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意賀美神社 大阪府枚方市枚方上之町1-12
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八幡神社 大阪府方市磯島元町5-7
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御狩野神社 大阪府枚方市禁野本町2-7-41
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御殿山神社 大阪府枚方市渚本町12-55
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山神宮 枚方市堂山3丁目30
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山田神社 大阪府枚方市田口1-66-18
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日置天神社 大阪府枚方市招提南町2-28-1Z
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二ノ宮神社 大阪府枚方市船橋本町1-707
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枚方駅高架下のお地蔵さま |