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久しぶりに宇治へ出かけた。京阪本線、中書島で宇治線に乗り換え、終着が宇治駅である。
駅から出ると、すぐに宇治橋がある。宇治橋を渡らず、そのまま真っすぐ宇治川に沿って歩くと、宇治神社及び宇治上神社方面であるが、この紹介は別のページで行う事にする。
やがて右手に真っ赤な橋が見えてくる。朝霧橋である。
橋を渡って川の中州に出る。公園のように整った風情だ。十三重の塔から更に橋を渡ると、観光用の船着き場があり、料理屋や旅館のような建物が並んで、いかにも観光地らしい風情に変わる。右手に宇治川を望み、大変景色のいい道で「あじろぎの道」と言うらしい。
ここから参道に続くが、入口に達すると「平等院」と書かれた石標があるが、門らしきものがない。普通のお寺さんでは、あって当然なのだが、少し不思議な気がする。 |
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平等院の元々は、嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だった。それが宇多天皇や源重信を経て藤原道長の別荘「宇治殿」となった。
更にその子、藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。
これが平等院の始まりとされる。つまり、元々別荘なので、寺院のような門は必要なかったのかもしれない。
この時の本堂は「鳳凰堂」ではなく、本尊も大日如来としていた。
その後、西方極楽浄土を現出させたような堂宇が建立される。これが現在の「鳳凰堂」である。
最近まで拝観できなかったのは、屋根の葺き替え・柱などの塗直し修理のため、堂宇が「覆い」で、見えなくなっていたためである。
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目の前に超美しい建物が現れる。これが10円玉でお馴染みの鳳凰堂である。
目の前にある池が「西方極楽浄土」で言う彼岸(ひがん)・此岸(しがん)の境になる。彼岸は極楽浄土であり、此岸は穢土、つまり現実世界である。
当時は仏説に曰く、末法の世であり、西方極楽浄土の教主「阿弥陀如来」に、救済を求めるべく、浄土世界を現出させた、との説が定説である。
その姿は内部の極楽浄土世界に留まらず、建物全体に及び、非常に象徴的な造りになっている。
中央の「中堂」から両翼に「翼廊」。更に後部の「尾廊」からなっており、全体で鶴が翼を広げたような配置になっている。
「鳳凰堂」及び、本尊の「阿弥陀如来座像」は国宝である。 |
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鳳凰堂を見るのは今回が初めてだが、お参りと言うよりは、芸術を鑑賞しに来た。と言う感じだ。
境内のその他の堂を巡って、何かホッとした。
重要文化財として観音堂・木造十一面観音立像・養林庵書院 ( 山内寺院の浄土院。非公開)がある。
左の不動堂は一般仏閣で「役行者像」が祀られている。
この後「平等院ミュージアム」を観覧し、次の目的地「宇治神社・宇治上神社」を目指す。
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►次の目的地 → 宇治神社
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2015/6/14 コース履歴
▶ 京都・宇治方面 |
▼ 平等院 京都府宇治市宇治蓮華116
▼ 宇治神社 京都府宇治市宇治山田1
▼ 宇治上神社 京都府宇治市宇治山田59
▼ 源氏物語ミュージアム 京都府宇治市宇治東内45-26
▼ 萬福寺 京都府宇治市五ヶ庄三番割34 |
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