高槻城跡入口 |
高槻城跡へは野見神社から南へすぐ、駅からも10分とかからない。
現在の高槻城跡は史跡公園になっており、本来の高槻城は明治に入ってすぐに廃城とされ、取り壊された。隣の槻の木高校が天守の跡地とされる。
更に石垣などは鉄道敷設の用材に転用され、殆ど往時の姿を残してはいない。一部の石垣が公園内にあるのみで、現在の天守台なども、その後の造営による模擬天守台である。
しかし、築城から900年を超える歴史の中、4度に及ぶ改修を経て壮大な城と整備された城下町は、今の時代に繋がり、歴史豊かな郷土を形成している。
公園に入ると、まず目につくのが高山右近の像だ、かつての城主でありキリシタン大名としても有名だ。更に進むと天守代を模した石垣が現れる。 |
市民顕彰の碑 |
公園へ入ってすぐに模擬の石垣がある
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高山右近 案内板 |
高山右近の像 |
高槻城跡の石碑 |
地図があったので撮影 |
濠を模した池 |
高槻城模擬天守台 |
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濠を模した池の前に休所があったのでここで一休みさせて頂く。 いい天気に恵まれ、濠を眺めながらの軽食もいいものだ。
ここで高山右近の話に触れておきたいと思う。近年バチカンの法王庁より福者に列福されるとのニュースがあったのが、他ならぬ片山右近である。キリスト教徒や日本人にとっても大変良いニュースである。筆者は神社人であるが、異教の出来事である事に何故か違和感が無い。それは神道の持つ寛容さもあるが、高山右近の純粋な信仰心に敬服する所以である。
徳川家康のバテレン追放令によりフィリピンに追放され、大歓迎を受けたマニラで最後を迎えるのだが、それも戦を避け、教徒達を守っての英断であり、全財産をはじめ、地位名誉も投げ打っての所作である。
・・・この事には、やはり日本人としての誇りが生きているように思えてならない。
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風雅な木橋 |
歴史民俗資料館付近 |
高槻城アプリのPR |
歴史民俗資料館 |
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しかし、右近が城主になったときには、前の野見神社や次に訪問する八幡大神宮などをはじめとする社寺を全て破壊している。
如何に純粋な信仰とはいえ、絶大な権力を楯とした横暴かと思える。
過ぎ去った昔の話とはいえ残念さを拭えない。
しかしながら、後の城主である永井氏により普く再興され、現在にその姿を留めている。・・それも類い稀な日本人の努力と誇り以外の何者でもない。
それぞれの歴史を精一杯に生きた諸々の民へ敬意を表したい。
感慨に耽りながらここで腰を上げて歩を進める事にする。
公園を更に南に進むと民家風の建物がある。ここが歴史民俗資料館である。 |
歴史民俗資料館内部(旧笹井家住宅) 展示品 |
歴史民俗資料館内部(旧笹井家住宅) 展示品 |
旧笹井家住宅そのままを利用している |
歴史民俗資料館内部(旧笹井家住宅) |
旧笹井家住宅の案内など |
高槻市立歴史民俗資料館
白壁と本瓦葺きが印象的な歴史民俗資料館は、江戸時代中頃、城下の紺屋町に建てられていた商家を移築復元したものです。
しろあと歴史館の分館としてふるさとの暮らしや生業を語る生活用具、農具・漁具などの民俗文化財を保存、展示しています。建物は市の有形文化財に指定されています。
● 開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時半まで)
● 休館日 月曜日・祝日の翌日・12月28日〜1月3日
● 入館料等 無料 ※しろあと歴史館も無料
※高槻市ホームページより
後で分かったのだが、公園の北側に「しろあと歴史館」があることを知らなかった。不覚であった。大阪市の適塾等は料金が必要だが、高槻市の場合、無料と云うのがうれしい。
さて、このへんにして次は公園の東側に位置する八幡大神宮へ向かう事にします。
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トリップ 21 2016/1/15
ルート履歴 ► 大阪・高槻市方面 |
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野見神社 大阪府高槻市野見町6-6
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高槻城跡 大阪府高槻市城内町・野見町・大手町他
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八幡大神宮 大阪府高槻市八幡町2-9
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春日神社 大阪府高槻市春日町8-14
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冠須賀神社 大阪府高槻市辻子1-3-4
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道祖神社 大阪府高槻市大冠町2-8-13
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都城神社 大阪府高槻市深沢本町
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大塚神社 大阪府高槻市大塚町2-33-19 |
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