天之御中主神

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野見神社
【大阪・高槻市】のみじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

野見神社

野見神社


所在地 大阪府高槻市野見町6-6
御祭神 須佐之男命 野見宿禰命
社格 式内社(小)・郷社
創建 9世紀末頃
境内社 永井神社( 初代高槻藩主永井直清)、小島神社(市杵島姫命・大己貴命・磐長姫命・天児屋根命)、四社明神、高槻えびす神社(蛭子大神)、護国神社
その他 野見宿禰は相撲の神様として有名であり、埴輪の始祖とされる。


トリップ 21 2016/1/15 ルート履歴
► 大阪・高槻市方面

野見神社 高槻城跡 八幡大神宮 春日神社

大塚神社 都城神社 道祖神社 冠須賀神社

阪急高槻市駅から南へ、商店街を通ってすぐ

今回の旅程は北摂、高槻市。大阪に住んでいると、何故か淀川から北の地域と、大和川から南の地域は別世界のように感じる。
 そもそも、淀川から北は摂津国、大和川から南は和泉国と言う旧国称があるのだが、大阪市域や東部はは河内国に属し、そう言う事を知らなくとも、何故か風土の違いを肌で感じる事がある。
 阪急高槻市駅を降り立つと、大きな駅なのだが、ロータリーもなく、突如繁華街の真ん中に足を踏み入れたような印象で、北玄関のJR高槻駅とは対照的なイメージだ。

 さて、一番目の訪問地は野見神社だ。旧高槻城内北大手にあり、祭神は須佐之男命、野見宿祢命を祀る。
 創建は古く、社伝によると、宇多天皇の御代(887〜897年)当地方に悪病が流行り、多数の死者が出たとき、「社殿を造り、牛頭天王をお祀りすれば悪病が治まる」というご神託があり、早速お祀りところ、たちまち悪病は終息した。このことから社殿を造り、牛頭天王社として祀った。・・とされる。

東側 鳥居

境内 永井神社 東側の門

境内 永井神社 唐門

高槻えびす神社 能舞台

境内 拝殿前

護国神社

拝殿

四社明神

四社明神 志那都比古神、志那都姫神、火産霊、金山比古神、金山姫神、埴山比古神、弥都波能売神

拝殿

高槻えびす神社 蛭子大神 西宮戎神社の勧請

 その後、歴代高槻城主や家臣の崇敬を集めたが、キリシタン大名で知られる、高山右近が耶蘇教を信じ神殿を破壊し、社領を没収、御神体は石清水八幡宮に移されたとされる。1649年に永井日向守直清が城主となってから社殿を修築し、社領を寄進して、盛大な祭礼を行うようになる。
 その後、神仏分離令により、牛頭天王は須佐之男命と名を変え、野見宿祢命を合祀して、「野見神社」と改称した。現在の本殿は1682年の建築。幣殿、拝殿は2003年(平成15年)の改修事業による造営である。
 永井神社 旧高槻城主永井日向守直清ならびに永井家代々藩主の霊を祀る。創立は1793年9代藩主永井直進によって、藩祖直清の「御霊社」として造営され、当初は「直清神社」と称した。その後高槻城内にある牛頭天王の社の敷地に新しく社殿を造る。
第11代藩主直輝が直清入場200年を記念し、本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造りと、唐破風の門を造立。幕末には「直清権現」と呼ばれ、当時の藩士は親しみをこめて「権現様」と参拝していた。1888年(明治21年)旧藩士領民達がその遺徳を讃え社殿東側に石碑を建立した。

永井神社 唐門(四脚門)

藩祖永井直清公の顕彰碑

小島神社

小島神社 ご由緒

小島神社

本殿

永井神社 本殿

永井神社 拝殿

鳥居を後にし、高槻城跡へ向かう

解説の行が長くなってしまったが、次の訪問地へ向かうとこにする。次は良くも悪くも、野見神社とは縁の深い高槻城跡である。

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野見神社 大阪府高槻市野見町6-6
高槻城跡 大阪府高槻市城内町・野見町・大手町他
八幡大神宮 大阪府高槻市八幡町2-9
春日神社 大阪府高槻市春日町8-14
冠須賀神社 大阪府高槻市辻子1-3-4
道祖神社 大阪府高槻市大冠町2-8-13
都城神社 大阪府高槻市深沢本町
大塚神社 大阪府高槻市大塚町2-33-19




 

 

 

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