天之御中主神

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交野天神社
【大阪・枚方市】かたのあまつかみのやしろ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

交野天神社 

交野天神社


所在地 大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
御祭神 光仁天皇・天兒屋根命・菅原道眞
創建 延暦6年(787年)
境内社 八幡神社(垣内にご本殿と隣接して鎮座)、樟葉宮跡には末社 貴船神社(穂掛神社)がある。
その他 枚方市から「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」に指定されている。
本殿・八幡神社は重要文化財


トリップ 17 2015/12/29 ▶ 京都・八幡市方面

楠玉龍神樟葉天満宮址交野天神社和気神社稲荷神社猿田彦神社

道中にキウィを発見 鈴なりだ

年の瀬も押し迫ってきたが、おそらく本年最後の参詣となるだろう。
 トリップには八幡市方面としたが、最初の訪問地は隣接する枚方市の神社である。八幡市の境界まで100mもない。
 京阪樟葉を下車して15分ほど歩く。
途中畑や民家の果樹などがあり、鈴なりのキウィを発見。絵になりそうなので1ショット。

 男山団地に近いこの辺り一帯は楠葉丘と呼ばれ、その北端に神社が位置する。神社は鬱蒼とした森の中にあり、足を踏み入れると昼でも暗く別世界のようになる。入口には「定」があり、意とする所は、「森を穢すな」と言う事だろう。
 また、この地は枚方八景の一つでもあり「樟葉宮跡の杜」と呼ばれている。

神社入口の鳥居

ご由緒ではなく「定」

薄暗い中、参道を進むと原始林に包まれたような中に、鳥居と拝殿が見えてくる。
 参拝の折、宮司さんと思われる方と話をする機会に恵まれ、多々お話を伺った。

 ご由緒は、桓武天皇が延暦6年(787年)、交野の地に、中国の皇帝の例に習い、父光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたとされ、この郊祀壇が起源とされる。さらに、本殿の北東に末社貴船神社があり、継体天皇の樟葉宮跡と伝えられている。
 この由緒は「日本書紀」や「続日本紀」に記載があるとの事で、相当の古社のようだ。
 ご本殿は一軒社流造りで、かなり大きい。最近修理が行われたとの事だが、桧皮葺だけでも数千万の費用がかかるのだとか・・隣接して八幡神社が鎮座しており、共に重要文化財となっている。

杜の中を参道が伸びる

拝殿

ご本殿(左)右は八幡神社 ともに重要文化財

垣外から見た本殿

垣外に末社の天神社があり、神社の呼び名について本来は「かたのあまつかみのやしろ」が正しいが、「かたのてんじんしゃ」とも呼ばれるらしく、確かに天神様も居られるので、宮司様曰く、間違っているわけではないとの事。

 本殿から脇に細い道があり、その先にもう一つの末社、貴船神社(穂掛神社)がある。この神社の鎮座地は小高い丘になっており、樟葉宮のあった場所とされる。「日本書紀」によると、越前の三国から迎えられた男大迹王(おおどのおおきみ)は、のちに継体天皇として507年に樟葉で即位し、5年にわたり宮を営んだとされる。
 定かではないが隣接する男山地域や石清水八幡宮の鎮座する男山の地名も、この由来からではないかと推察される。

本殿横

天神社

本殿横 蛙股の彫刻

拝殿横彫刻 宮司さんもよく分からないらしい

樟葉宮跡にある末社 貴船神社(穂掛神社)

継体天皇樟葉宮跡伝承地・大阪府指定史跡

約1500年前ここに継体天皇樟葉宮があったとは・・

ひっそりとした中に佇む貴船神社で参拝し、少々感慨に耽りながら、次の目的地へと移動する。
 大阪の県境をを超えて、すぐそこではあるが、京都八幡市に入る。宮司様いろいろとお話、ありがとうございました。

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トリップ 17 2015/12/29 ルート履歴 ▶ 京都・八幡市方面

楠玉龍神 大阪府枚方市町楠葉2丁目3-3
樟葉天満宮址 大阪府枚方市町楠葉1丁目33-25
交野天神社 大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
和気神社 京都府八幡市橋本東百反6
稲荷神社 京都府八幡市橋本西刈又33
猿田彦神社 京都府八幡市橋本東原27

北側に抜けた所に鳥居


 

 

 

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