天之御中主神

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百濟王神社
【大阪・枚方市】くだらおうじんじゃ

参詣の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

百濟王神社

百濟王神社


所在地 大阪府枚方市中宮西之町1-68
御祭神 百済王神、進雄命「須佐之男命(牛頭天王)」
社格 旧村社
境内社 浮島神社 若宮八幡神社 相殿 稲荷社
その他 本殿は春日造りの社殿、春日大社より譲り受けたもの。創建当時より百済寺とともに、百済王氏の氏神とされる。


トリップ 8 2015/10/27 履歴 ▶大阪 ・枚方方面

片埜神社 牧野車塚古墳 杉ヶ本神社

百済寺跡 百濟王神社 甲鉾神社粟倉神社

参道の南側起点 百済寺跡の石碑もありました。

  参道正面は府道に面しており、石碑が立っている。最寄りの駅は京阪宮の坂駅で10 分程度。甲鉾神社からだと1駅分はあるだろう。
 百済王神社は、その名の示す通り、朝鮮半島縁の神社だ。
最近ではネットやニュースで、韓国の話題が多くなったが、いい意味での話題ではない。
 そうした中で、実在する確かな歴史を見たくて、参詣を思い立った次第である。
 筆者、むかし韓国詩にハマった時期があり、その甘い余韻が時を経て、詩そのものは断片しか思い出せなくとも、甘く切ない余韻だけが長く続いている。
 そんな気持ちを大事にしたいのだが、今では嫌悪の気持ちの方が強くなってしまった。
 願わくば歴史の原点に立ち返って、よくも悪くも冷静に判断する機会を求めるのも、たまには必要だろう。

正面参道と鳥居

 ご祭神は扁額に百済国王、牛頭天王と記されている。
牛頭天王は京都八坂神社などに祀られる「須佐之男命」と同一である。
 もう一方の「百済国王」だが、調べた内容を次に記す。

百済国滅亡の際、百濟国王第三十代義慈王の子、禅広は、日本に亡命することとなる。
 朝廷に仕えることとなった禅広は、聖武天皇より百済王氏という姓を賜り、今の大阪、難波の地に住する。
 その後、代を経て陸奥守に任ぜられた、その子孫「百済王敬福」は、東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で産出した金を朝廷に献上し、その功により河内守に任ぜられ、同時に当地である中宮の地を拝領した。
 敬福は氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を造営し、この地に住し、隆盛を誇ったとされる。

手水舎

ご由緒

龍王山 浮島神社

境内の案内 大変わかり易いです

拝殿

旧拝殿

「春日移し」のご本殿

 その後、度重なる火災により壮大な伽藍は灰燼に帰したが、奈良興福寺の支配の元、再興が図られた。

 現在の本殿は、奈良春日大社の本社本殿を移築した「春日移し」である。  平成12年(2000)3月 枚方市教育委員会

 史実には桓武天皇と百濟王氏との友好が散見され、絆の深さが偲ばれる。そもそも桓武天皇の母君は、渡来人であり、百済王の子孫なのである。
 日本の歴史を語るとき、大陸や半島との関係は切っても切れない関係にある。
 今の関係を断ち切るのも、時によっていは致し方が無い事と思うが、日本の開かれた歴史観を思う時、半島や大陸においても、史実を感傷無く捉えて頂けると、より良き友好の薫風が再来するのではないかと・・・わずかながら期待するのである。

稲荷社

 

相殿社

相殿社のご祭神が認められています。

若宮八幡社

若宮八幡社

ご神馬

社務所

境内全景

いささか、おこがましい話になってしまったが、神々に対する日本人の敬虔さが、嬉しくもある参拝となった。
 勉強ついでに隣りにある百済寺跡を見に行く事にする。

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▼ 片埜神社 大阪府枚方市牧野阪二丁目21-15
▼ 牧野車塚古墳 大阪府枚方市小倉東町
▼ 粟倉神社 大阪府枚方市小倉町1
▼ 杉ヶ本神社 大阪府枚方市片鉾本町15−30
▼ 甲鉾神社 大阪府枚方市甲斐田町1
▼ 百濟王神社 大阪府枚方市中宮西之町1-68
▼ 百済寺跡 大阪府枚方市西之町1丁目


 

 

 

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