瘡神社
| 京都へ出かける折、急遽用事が中止となったため、気の向くままに牧野で下車、従って今回は一人である。
スマホで地域の情報や、地図を見ながら、河州一之宮と言われる「片埜神社」をみつけた。
牧野の駅から徒歩で10分もかからない。向かう途中で別の社を発見。何かの縁と思い、さっそく参拝。
しかし、鳥居は傾き、社を覗くと本殿がない。側に案内書きがあったので読んでみると。片埜神社の境外社らしい。
後で調べた事だが、菅原道真が大宰府へ向う途中、道真の馬が病気で倒れた。馬は地元の人の介抱の甲斐なく亡くなり、埋葬された。
その場所は、地元の人が供えた草でいっぱいになったことから、いつしか「草神様」と呼ばれるようになったと言う。
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この「草」が「瘡(くさ)」となり、後に瘡(皮膚病)に霊験のある神とされ、社名も「瘡神社」(くさがみ)となった。
祭神は火酢芹命とあるが、これは後に定められたものである。
本殿がないのは、それ以前から後ろにある池を信仰の対象としていたためらしい。現在拝殿となっている建物は、以前は「お蘢り堂」として使われていたらしい。
更に歩くと、またまた、神社を発見。
「朝原神社」 祭神は猿田彦命(サルタヒコ)。天孫降臨の際、邇邇芸尊(ニニギ)の案内をした神様で、天宇受賣命(アメノウズメ)と結婚したとされる。この経緯から、旅行安全・子孫繁栄の神とされる。ここも片埜神社の境外社らしい。
ここらか程なく境内だ。どうやら来た道は裏参道らしい。入口に七五三ののぼりが沢山あって華やいでいる。
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寄姫社 |
裏参道から入ってすぐに、依姫社がある。 祭神は玉依姫命、大国主命、市寸島姫命。本殿の前には七五三詣でのためか「神輿」が置かれている。いや、美しい。
由緒としては、垂仁天皇の時代、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞嗚尊を祀った事に始まる。
「片埜」はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来でもある。平安中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、菅原道真も配祀された。
戦国時代の荒廃も豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされた。
かつては広大な社地を有し、「交野の御野」「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。
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本殿 |
拝殿 |
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本殿は桃山時代の様式手法を今に伝えるものとして、重要文化財に指定されており、桃山時代に豊臣秀頼により再建された。
三間社流造、檜皮葺。四面を飾る蟇股の彫刻に当時の特色を見て取ることができ、向拝中央は竹に虎、右は芙蓉にせきれい、
左は椿にひよどり、本殿正面は中央・左右とも牡丹、背面は中央に椿、左にかきつばた、右に菊、東妻は太閤桐、西妻は栗と、絵画的で見事な彫刻がそろっている。
参拝の折、拝殿内を覗き込んだが、朱塗られた本殿が奥に見え、あでやかである。社伝によれば平成二十一年に桧皮の葺き替えとともに塗り替えられたらしい。
本殿斜め横には稲荷社がある。朱の鳥居を連ね、いかにも稲荷社だ。祭神は保食神、武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売大神、品陀和気命、久那戸神 |
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予定外の参拝であるが、なかなかのものだ。
日本全国には、このような神社が地域の隅々まで、また古代から存在する事に多いに感心させられる。
次の予定は決まっていないが、更に南に古墳があるらしいので、とりあえず行ってみる。
※大阪城鬼門鎮護の神社とは、交野郡の一宮(牧野坂の片埜神社)、二宮(舟橋の二ノ宮神社)、三宮(穂谷の三ノ宮神社)を言う。全て回ってみたいものだ。
※節分の豆まきには「鬼は内」と呼ぶようだ。鬼門守護の意からきているらしい。 |
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神牛 |
手水舎 |
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トリップ
8 2015/10/27 履歴 ▶大阪 ・枚方方面 |
▼ 片埜神社 大阪府枚方市牧野阪二丁目21-15
▼ 牧野車塚古墳 大阪府枚方市小倉東町
▼ 粟倉神社 大阪府枚方市小倉町1
▼ 杉ヶ本神社 大阪府枚方市片鉾本町15−30
▼ 甲鉾神社 大阪府枚方市甲斐田町1
▼ 百濟王神社 大阪府枚方市中宮西之町1-68
▼ 百済寺跡 大阪府枚方市西之町1丁目
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