天之御中主神

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堀川戎神社
【大阪・北区】ほりかわえびすじんじゃ

参拝の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

堀川戎神社


堀川戎神社


所在地  大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
御祭神 蛭児大神(蛭子大神)、少彦名命、天太玉命
社格 村社
境内社 榎木神社「地車(だんじり)稲荷」句句廼知神、宇賀御魂神 淡路神社、松尾・工匠神社、大国主・菅原社
その他 ミナミの今宮戎と並び、大阪の十日戎が特に有名。 また、西宮戎と併せ、「三大戎」に数えられる。


トリップ 10 2015/11/17 ▶ 大阪 ・北区方面

綱敷天神社 御旅社 歯神社 太融寺 綱敷天神社堀川戎神社 大阪天満宮

入口の赤鳥居

 雨がポツポツ降り出してきたが、まだ大丈夫。綱敷天神社を南に向かって南森町方面だ。
 扇町公園の南、阪神高速守口線に面して鳥居がある。戎と言えば、まず思い浮かべるのが、やはり「十日戎」だ。
 一月十日の賑わいは「商売繁盛笹もってこい」のかけ声とともに、もはや誰しもが周知の風物詩となっている。
 さっそくお参りだが、ちょうど神職さまが掃除をされていらして、声をかけさせて頂いた。愛想良く対応していただき感謝の念にたえない。
 御由緒は、社伝によれば、欽明天皇の時代、止美連吉雄が蛭子大神の神託により堀江で玉を得、それを神体として富島に蛭子大神を祀ったのに始まる。明治には村社になり、その後、やはり空襲で全てが焼けてしまったらしい。
 御神職さま曰く、生国魂さんも、ほかの神社もみんな焼けて、残ったのは天満宮ぐらいのものだ・・との事だ。

境内

 大阪の神社を巡ると、特に市内はコンクリートの神社が多いのは、戦災で焼けてしまったためなのかと、悔しく感じてしまう。
やっぱり戦争はいかん。しかし、それにしてもここまで復興されたのは大したものである。また、神社を支える大阪の人々の熱い想いがあっての事だろう。
 その想いが爆発するのが「十日戎」である。
関西中の人々から「えべっさん」と親しまれ、 江戸時代から年々隆盛を極め、盛大となり「ミナミの今宮、キタの堀川」と並び称せられるほどになったと言う事だ。
 その盛大さは今もなお衰えることなく、毎年1月9日〜11日の「十日戎宝の市神事」には、商売繁昌を願う参詣者数十万人が参拝し、立錘の余地がない程の盛況となる。この境内に十万人とは驚きである。さらに、天神橋筋商店街から梅田にかけて200軒を超える夜店が軒を連ね、大阪独特の賑わいを醸し出す。

拝殿

地車(だんじり)稲荷

地車(だんじり)稲荷内部

境内摂社 淡路神社、松尾・工匠神社、大国主・菅原社

 さて、神社の話題に戻るが、入ってすぐ右に社があり、中に地車のような形をした社が鎮座している。
 名前は「榎木神社」だが、通称「地車(だんじり)稲荷」といい、いろいろ不思議に思い由緒を伺った。
 元々は堀川の堀止にあった榎の根元に小祠があり、これが起源だが、その後に堀川戎末社の稲生神社と合祀し、稲生神社別魂榎木神社としてお祀りされていたが、神社合併政策によって吸収合併、この場所に遷座されたらしい。
 地車の由来は、榎の根元には吉兵衛という老狸が住んでおり、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていたと伝えられる。
 普通は稲荷さんと言えば「狐」なのだが、ここでは「狸」らしい。
 また願いが叶ったお礼に小さな地車の模型(奉納地車)や絵馬(狸が地車を曳く図柄)を奉納される方が沢山おられ、今に至っても参拝者が絶えないとのことです。

 戎神社と言えば、やはり十日戎の時に来てみたいものだ。
「えべっさん」独特の賑わいに酔いしれるのも悪くない。
 「えべっさん」のことについては、多くを語りたかったが、次回か次々回あたりに「今宮戎」に向かうので、その折に語りたいと思います。神職さまありがとうございました。

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トリップ 10 2015/11/17 履歴 ▶大阪 ・北区方面

▼ 綱敷天神社 御旅社 大阪府大阪市北区茶屋町12-5
▼ 歯神社 大阪府大阪市北区茶屋町2-8
▼ 綱敷天神社 大阪府大阪市北区神山町9-11
▼ 太融寺 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
▼ 堀川戎神社 大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
▼ 大阪天満宮 大阪府大阪市北区天神橋二丁目1-8


 

 

 

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