天之御中主神

神社参詣 寺院参詣 史跡・名所等 参詣の会

綱敷天神社
【大阪・北区】つなしきてんじんしゃ

参拝の会や個人で巡った神社を、社格や大小・地域を問わず記録しています。

綱敷天神社


綱敷天神社


所在地  大阪府大阪市北区神山町9-11
御祭神 嵯峨天皇・菅原道眞公
社格 郷社
境内社 喜多埜稲荷神社(宇迦之御魂大神) 白龍社(白龍大神、猿田彦大神)
境外社に御旅社と歯神社がある
その他 神宝として下記のものがある。
綱敷の御綱、綱敷天神根本御影、嵯峨天皇神影、綱敷天神社縁起絵巻、北野村領境総絵図、喜多埜天神太々神楽絵図など


トリップ 10 2015/11/17 ▶ 大阪 ・北区方面

綱敷天神社 御旅社 歯神社 太融寺 綱敷天神社堀川戎神社 大阪天満宮

 

 次に向かう綱敷天神社は、今日参詣した「綱敷天神社 御旅社」と「歯神社」の本社だ。
 本来は境外社として、一緒に紹介すればいいのだが、それぞれ場所がわりと離れているし、独立した神社の風格を持っている。
 また、参詣者からすれば、境外社と言われても、あまり関係なく参詣していると思われるからである。
 ともかく、本社に参詣しない訳にはいかない。・・で、南西方向、扇町方面へ向かう。少し雨模様なので少しピッチを上げて、最短の経路を行く。

 飲食店が並び、生活道路のような面持ちの中に鳥居が見えてくる。立派な門構えであり、由緒を思わせる風格がある。
 綱敷天神社の由緒は、弘仁十三年(822年)に、嵯峨天皇が当地に御行幸の折、現在の御本社の位置に仮御殿を構え一宿された事に由来する。

 延喜元年(西暦901年)に、菅原道眞公が、無実の罪により京都より太宰府に赴く左遷の際に、この地で美しく咲いていた紅梅に目を留められ、船の艫綱(ともつな)を円く円座のようにに敷いてご覧になられ、一時の休息をされました。その由縁が、「綱敷(つなしき)」の名の興りとされるそうです。
 その後、従者の白江氏が道眞公のご遺訓に従い、この地に留まり、紅梅の下に小祠を営み、梅塚天満宮と称し、道眞公の御霊をお祀りした。この梅塚が「梅田」の名の由来となったともいわれている。
 先の大戦では、空襲により社殿は焼失するが、御神宝の御綱と御影は戦火を免れ、現在に至っている。
 こうして御由緒を辿るとあたかも梅田(キタ)の一宮のように思える。

拝殿

喜多埜稲荷神社

由緒

御神牛と白龍社

手水社

筆塚

 

 道眞公をお祀りする天満宮や天神社などで、よく神牛を見かけるが、その謂れがあったので写真にとっておいた。
おもしろいので、ご覧あれ 。
 次は「えべっさん」へ向かいます。

次の目的地 → 太融寺 です

トリップ 10 2015/11/17 履歴 ▶大阪 ・北区方面

▼ 綱敷天神社 御旅社 大阪府大阪市北区茶屋町12-5
▼ 歯神社 大阪府大阪市北区茶屋町2-8
▼ 綱敷天神社 大阪府大阪市北区神山町9-11
▼ 太融寺 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
▼ 堀川戎神社 大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
▼ 大阪天満宮 大阪府大阪市北区天神橋二丁目1-8


 

 

 

ー 表紙古事記日本神話神道神々社寺探訪日本国ノベルブログ桐の会 ー

Copyright ⓒ Sakane. All Rights Reserved.