大門 |
「三井の晩鐘」は有名で、すぐに三井寺と記憶が繋がる。筆者も過去二度ほど訪れた事がある。
飾らない古い寺とのイメージがある。
今回は車で日吉大社から来たので、街を歩いた訳ではないので、昔に来た経路は思い出せない。
三井寺は正式名称が「園城寺」で、大友氏の開基であるとされる。
その後、天台寺門宗の宗祖である「円珍」によって興隆する。
この時「円珍」は、天台宗最高の地位である天台座主に上り詰めている。
しかし、「円珍」の没後、二派に分かれた弟子達が抗争を繰り返し、比叡山延暦寺の「山門」と園城寺の「寺門」との対立等により50回にも及ぶ焼き討ちにあったといわれる。
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釈迦堂
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平安時代には朝廷や貴族により守られたが、豊臣秀吉の時代には秀吉の逆鱗により、再び荒廃するも、許しを得て、更なる再興を果たして現在に至っている。
こうした経緯から「不死鳥の寺」と呼ばれている。
山門から金堂(国宝)の方に向かうが、境内が広い上に起伏があり、更に堂宇が大変多い。
なにげなしに境内を歩いていると、自分がどこにいるのか分からなくってしまいそうだ。
山門から真っすぐ歩いて正面に金堂、そして手前右には釈迦堂(食堂)だ。
金堂は本堂でもあり、北政所により1559年に再建されたもので、桃山時代を代表する名建築。本尊の弥勒菩薩を祀っている。
金堂の横には「閼伽井屋」があり、三井寺の名の由来となる霊泉が涌く。
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金堂
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鐘楼
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梵鐘(弁慶引摺鐘) |
一切経蔵 |
鐘楼は1602年の再建による。近江八景「三井の晩鐘」で有名で、宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三銘鐘に数えられ、1996年に環境庁より「日本の音風景百選」にも認定されている。
現在の鐘は、元にあった古鐘「弁慶の引き摺り鐘」の跡継ぎとして鋳造されたもので、誰でも鐘をつく事が出来る。
当時の鐘は「弁慶の引き摺り鐘」と言われ、霊鐘堂に展示されている。除夜の鐘の百八煩悩に因んで、鐘の上部には乳といわれる百八箇の突起がある。
隣には少し離れて一切経蔵がある。室町時代初期の建築で、1602年に毛利輝元により山口県国清寺より移築、寄進されたものである。堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があり、その重厚感が歴史を感じさせる。
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三重塔 |
唐院灌頂堂 |
微妙寺 |
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毘沙門堂 |
路なりに歩いていくと、今度は唐院である。三重塔・潅頂堂・大師堂が見えてくる。
唐院は智証大師(円珍)の廟所であり、名は智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来する。
微妙寺をすぎて、しばらくはゆったりとした路が続く。途中には幾つかの石仏や祠のようなものが立っており、気分を和ませてくれる。
石段を登ると札所伽藍である。諸堂があり、一番大きいお堂が観音堂だ。観音堂はもと長等山中の「華の谷」と呼ばれる場所にあったが、観音信仰の場としてお参りの困難さや、女人が参拝できないことより1481年に現在の地に移った。
他に 「観月舞台」「百体堂」「鐘楼」などがあり、「百体堂」は自由で出入りが出来るが、何か異様な霊気を感じる。また、「観月舞台」からは大津方面が見渡せる。 |
観音堂 |
百体堂 |
鐘楼 |
園城寺は結構見所が多く、古寺の豊穣さを感じさせてくれる。また、格式張らない所が良く、親しみを感じる寺である。
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