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国号・象徴

 















古代、大八島(日本列島)において、国名は存在しなかった。
 古事記国生みにおいて、はじめて葦原中国という国名が登場する。
 大八島の地に数多の小国が成ったとき、西の天子国(現在の中国)は大八島の地を総じて倭国、やまとの国と呼んだ。
 神倭伊波礼毘古(神武天皇)が全国を平定し、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。
 天子を頂く国になって初めて、東の天子国「日本」と命名するのである。
 それは日没する所の西の天子国に対し、日出る所の東の天子国、「日本」と書いて「やまと」と称した。

 

歴史に連なる日本の国号


☻葦原中国(あしはらのなかつくに)(古事記、日本書紀 神代)あしはらなかつくに 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
☻豊葦原(とよあしはら)
☻豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)(古事記)
☻豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)(日本書紀 神代)
☻秋津島 あきつしま
「秋津(あきつ)」は、「とんぼ」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
☻大倭豊秋津島 (古事記 本州の別名)
☻大日本豊秋津洲(日本書紀 神代)
☻師木島 (古事記)
☻磯城島 
☻志貴島(万葉集)
☻敷島
「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
☻大八島
☻太八島
☻大八洲(養老令)
☻大八洲国(日本書紀 神代)
おおやしま  国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。古事記では順に淡路島・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州。
☻磯輪上秀真国(しわかみのほつまのくに)(日本書紀・神武記)
☻細矛千足国(日本書紀・神武記)
くわしほこちたるくに  精巧な武器が備わっている国の意。
☻玉牆内国(日本書紀・神武記)たまかきうちのくに
☻玉垣内国(神皇正統記)
☻大和
☻大和国
☻邪馬臺国 (魏志東夷伝倭人条)
やまと  大和国(奈良県)を指すとともに日本全体の意味にも使われる。
☻瑞穂国
みづほのくに - みずみずしい稲穂の実る国の意。
☻浦安国 (日本書紀・神武記)
うらやすのくに   心安(うらやす)の国の意。
☻「日出処」(隋書)
ひのいづるところ  遣隋使が煬帝へ送った国書にある「日出處」による

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日本国旗(日章旗・日の丸)


☻おなじみの日の丸である。だが、一般家庭においては、一昔前より、だんだん使われなくなってきた感がある。
 昭和30年代頃迄は、どの家庭にも必ずと言っていいほど「日の丸」を備えていた。正月や祝日にはどの家でも「日の丸」を掲げ、町中がめでたい雰囲気でいっぱいであった。
 しかし、今では殆ど目にする事がない。少し寂しい気がする。
 「日章旗」の起源は、文献で調べてもはっきり分からないのだと言う。でも一説では、源平合戦に由来すると言われる。「錦の御旗」にちなんで、平氏は「赤地金丸」の旗を、源氏は「白地赤丸」の旗を使用した。
 勝利した源氏の旗に因んで、天下統一の象徴になったと言う。
 以後、近世においては、江戸幕府が「三葉葵」以外に幕府船や海運船に使用するなどして幕末まで続いている。その後、日本が開国するにあたって、外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗が、老中阿部正弘により布告された。
 明治に入り、「旭日旗」とともに国旗として採用された。大東亜戦争後、一時「GHQ」により掲揚が中断したが復活。
 1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布され、正式に国旗として定められ、現在に至っている。
 資料を調べて思う事は、元々は「天照大神」に代表される太陽信仰、そして朝廷の権威としての「錦の御旗」が起源のように思える。さすが神国である。
 国内には国旗や国歌に敬意を持たない人々もいるが、日本人として、永く豊穣な歴史や、築き上げた文化の象徴をもっと大切にして頂きたいものだ。

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天皇の紋章 天皇旗(十六八重表菊紋)


☻後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、代々の天皇が自らの紋として継承し、いつしか、十六八重表菊が皇室の紋として定着した。
 現代では、十六八重表菊は、天皇と皇室を表す紋章である。菊の御紋とも呼ばれる。
天皇以外の皇族はこの紋の使用が明治になって制限され、菊花紋に独自にアレンジされたもの(秩父宮家・三笠宮家・久邇宮家など)を各宮家の紋としている。
 また、紋を用いた旗には天皇旗以外に皇后旗や皇太子旗もある。
 「錦の御旗」は天皇の軍隊を表し、後鳥羽上皇が初めて使ったとされるが、刺繍の施された美しい旗であったとされる。そして何より天皇の権威の象徴とも言える。

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日本国総理大臣官邸の紋章


 桐花紋は政府において広く使われてきていますが、桐花紋がいつ頃から使われ始めたのか、また、その由来については定かではありませんが、従前から慣例により使われており、定着してきているものです。
 なお、紋章について一般にいわれていることなどを記しますと、
 桐花紋は、植物のゴマノハグサ科に属する白桐を紋様化したものといわれています。
 桐は、聖天子の出現を待ってこの世に現れる鳳凰という瑞鳥(めでたい鳥)の宿る木だといわれており、天皇のお召しものにも桐や鳳凰などの紋様が使われるようになったといわれています(はっきりとはしていませんが、一説によれば嵯峨天皇(786〜842年)の頃から使われているようです。)。
 明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。
 総理大臣官邸では、以前から外国の賓客の接遇のための晩餐会等の招待状や食器、閣議室の大臣席の硯箱や大臣の表彰状などに「五七の桐」を使用しています。
 平成15年10月から首相の記者会見の際にも「五七の桐」を付した演台を使うようになりました。
           出典:首相官邸ホームページ

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旭日旗


「旭日」の基本デザイン自体は以外と古くから親しまれており、武家の家紋としても使われていた。
 その意趣は「晴れ」を表し、めでたい時や、景気を強調するために用いられていたデザインでもある。
 紅白の色の組み合わせも同じく古くより「晴れ」を表し、縁起の良き物として扱われていた。
 この旭日を「日章旗」をベースとして考案されたものが「旭日旗」である。当初から軍用として利用され、帝国陸軍をはじめに、海軍も「軍艦旗」として採用した。
 基本的なデザインは、光線の数が十六条であり中央に日の丸がある。
 それ以外にも四条や八条のものもあり、デザインは多様である。
 現在の自衛隊も引き続き採用しており、海上自衛隊の「自衛艦旗」は16条で、中央の日の丸が少し左に寄っている。陸上自衛隊は正方形の8条で、デザインにアレンジを加えている。
 それ以外では、漁船の「大漁旗」に使われたり、応援旗に使われたり、その用途も多種多様である。
 一部の国で、この旗を「戦犯旗」と呼んだりしているが、日本では古くから慶事に使用しており、戦時においても使われはしたが、古くからの伝統の旗であり、全く謂れのないものと思われる。その国も、当時は日本であり、この旗を戦犯旗と言うなら、その国も戦犯である。







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皇室 天皇陛下 皇后陛下


☻日本国憲法第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。

☻天皇陛下 「お言葉」

以下制作中

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国歌 君が代


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国花 桜(ソメイヨシノ)


   
製作中

 


   
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